先日、ポストを開けたら遠方に住む友人からの便りが一通。中にはお母様が亡くなった旨が書かれていた。何度か顔を合わせた事がある。最後に会ったのは、便りが届く一年前、友人の結婚式だった。

私の周りには親御さんが亡くなった友人が多く、親友もその一人だった。学生時代にお母様が病気を患って、亡くなられた。

私にはもちろん父がいて、母がいる。生活の中に当たり前に登場するわけで、会話の中にも「昨日お母さんがね」なんて自然に出てくる。今までもそうだったように。どうしても切り離せない。だって、「いつも一緒」にいる家族だからだ。当時の私はその当たり前が良いことか、悪いことかわからなくなってしまった。変な気の使い方だったと思うけれど、親友の前では不必要に親に触れられなくなった。
そんな中、親友が私に零した言葉が「親は大事にしないとダメだよ。」だった。
親友は私に目線を合わせないように横を向いたまま告げた。丁度多感な時期だった私の、刺々しい気持ちを刈り取るには十分過ぎる言葉で、私は小さく「うん」と答えただけだったように記憶している。私の親が「うちの子、反抗期がなかったわ」と話しているのを聞いた事があるけれど、私の反抗期が無かった理由は間違いなくこれだと言える。

便りをくれた友人と、二十代の頃に「親が死ぬってどんな感じなんだろう。想像もつかないし、その喪失感に耐えられるような気もしない」と話していた。
友人は、私より先に、その喪失感を迎えてしまった。
私はいい大人なのに、今も、想像に届かないその喪失感を恐れたまま毎日を過ごしている。

「いつも一緒」は叶わない、という事をまた思い知った手紙だった。