雨の日は土砂降り、晴れの日は真夏日と、熊本は梅雨真っ只中。洗濯物を干して出かけたと思えば雨が降ったり、今日は雨が降るだろうと洗濯しなければ晴れたり、ままならないものですね。

さて、梅雨だからと気を滅入らせてばかりいるわけにもいきません。3月にドイツを旅行した時の写真でも引っ張り出して、元気を取り戻すことにしたいと思います。

ハイデルベルク城(Schloss Heiderberg)

熊本市の中心部を走る市電の車輌にもいろいろなデザインがありますが、その中に1つ毛色の違うものがあることはご存知でしょうか。白いボディに深い緑と小豆色のライン。緑のラインの延長には、ライオンが入った縦型のマークと、ドイツの国旗が描かれています。これは「ハイデルベルク号」といって、1992年に熊本市とドイツ・ハイデルベルク市が友好都市になったことを記念して作られた車輌です。

ドイツ南西部のバーデン・ヴュルテンベルク州で5番目に大きいとされるハイデルベルク市。ここは深い緑の山々と雄大な川の流れ、旧市街の街並みが美しく、ドイツで最も古い大学であるルプレヒト・カール大学ハイデルベルクと、丘の上の城跡で有名です。

ハイデルベルク城はもともと神聖ローマ帝国の選帝侯の家系の1つ・プファルツ家の居城でした。1225年に初めてこの城の記述が残されており、17世紀の30年戦争とプファルツ継承戦争で破壊されるまでの間、帝国内で最も重要な城としてルネサンス様式の壮大な美しさを誇っていました。破壊後も何度か修復はされましたが十分ではなく、1764年に立て続けに落雷があったことで遂に城は燃え、廃墟となってしまったそうです。

ハイデルベルクの旧市街から、坂を登ったところにケーブルカー乗り場があります。そこでツアーガイドさんと合流して城へ出発。ところがそこから乗ったのは、何故かケーブルカーではなくバスでした。

その日はあいにくの天気でしたが、雨にけぶる赤い砂岩の城と赤い屋根の街並み、マンハイムへと続くネッカー川の景色はとても印象的でした。

それから、もう1つ印象に残ったのは、城の中にあったワインの大樽。木製の樽としては世界一の大きさなのだそう。ドイツならワインよりもビールなんじゃないのか、と思われた方もいらっしゃるでしょうか。実はこのバーデン・ヴュルテンベルク州は、フランスのワインの名産地・アルザス地方と隣り合わせで、ドイツワインの産地としても有名なのです。この地方の人は、ビールも飲むけれどビールよりワインの方を多く飲むのだとか。少なくとも熊本ではあまりドイツワインを見かけませんが、とてもおいしいですよ。

シュタウフェン城(Burg Staufen im Breisgau)

今度は、同じくバーデン・ヴュルテンベルク州の更に南西部、シュタウフェン・イム・ブライスガウ市の城砦跡。城は城でも、ハイデルベルク城は「Schloss」、シュタウフェン城は「Burg」と単語が違うことにお気づきでしょうか。ドイツ語では、宮殿など、政治的機能の強い城をSchloss、要塞などの軍事的機能の強い施設をBurgといいます。

滞在先のフライブルク市から30分ほどで着く無人駅で電車を降りるとすぐに、裸山と城砦跡のようなものが見えます。私がシュタウフェンを訪れたのは、この地方の名産である「キルシュヴァッサー(サクランボの蒸留酒)」の蒸留所を見学するためでしたが、この城のようなものが気になって仕方がなく、ドイツ語でされる蒸留所の説明を聞き流しながら後で必ず行ってみようと決心しました。

シュタウフェンは古い建物がそのまま残っている村です。夕方ののどかな目抜き通りを山へ向かって歩きました。石畳の通りを脇道にそれると、なかなか急な坂が始まっているのがわかりました。さては山の登り口だなと思って見ると、裸山だと思っていたその山には、一本の枝のような幹だけがビッシリと生えています。フライブルク市にもこの枝のようなものはたくさん生えているなと思ってこれは何かと聞くと、なんとワインのためのぶどう畑なのだそうです。驚きつつもなるほどなと納得しました。

さて、このぶどう畑沿いをうねる道を歩いて登るのですが、これがなかなかきついのです。少し歩いては足をとめて下を見下ろし、また歩いては教会の鐘の音を聞いて立ち止まる、ということを繰り返してようやく城壁の下にたどり着きました。

シュタウウェン城は先にも書いたプファルツ継承戦争で破壊されたのだそうですが、城壁に囲まれた中庭とパラスという居住部の名残が残っています。このパラスの階段を登ってみると、シュタウフェンの村と広がる畑、遠くを囲む山々を見渡す眺望が開けます。空を覆う雲の隙間から夕日が差して、どこか寂しいけれど清々しい、不思議な気持ちにさせられる光景でした。

テキスト/まるみつ