【584号】くまもと目線 de オリンピック

いよいよ来週23日に開会式を迎える東京オリンピック。コロナ禍での開催となり、1年延期をはじめさまざまな曲折がありましたが、世界中のアスリートが集う平和とスポーツの祭典が、57年ぶりに東京に戻ってきます。そんなオリンピックの魅力に、“くまもと目線”で迫ってみました!

県勢も多数活躍!五輪の魅力に迫る

今回の東京で32回目を迎えた近代オリンピック。長い歴史の中には、数々の県勢選手の活躍がありました。また、五輪の熱気を現場から伝えた記者にも取材。アスリートのすごさを体感するとともに、オリンピアンの生の声も届けます!

現役アスリート指導のもと 五輪の人気種目にチャレンジ!

一流選手たちのすごさを知るには、自分でやってみるのが一番! というわけで、読者代表に陸上の100mに挑戦してもらいました。

数あるオリンピック種目の中でも、特に注目度の高い陸上男子100m。現在の世界記録はウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)の9秒58ですが、それってどれほどの速さなのか?

指導と解説をお願いしたのは、八代在住で40代後半の今も現役で走り続ける“熊本短距離界のレジェンド”前田浩二さん。体の使い方や力の入れ具合など、実践的な内容を分かりやすくアドバイスしてもらい、短い時間にもかかわらず、チャレンジャーの中津さんの走りも次第に格好良く。目標の12秒台は出るのか!?

チャレンジャー 中津敬介さん
趣味はマラソンで、市民ランナーの勲章「サブ3(3時間切り)」を達成するほどの健脚。自信は…、あります!(笑)

まずは短距離を走る際の体の動かし方やスタートの姿勢などを、前田さんが一つ一つ丁寧に説明。チャレンジャーの中津さんも真剣に耳を傾けます。

スタート練習を繰り返す中津さん。100mではスタートの良し悪しがタイムに大きく影響するので、姿勢や飛び出し方など細かい点までチェック。

前田さんのアドバイスを受け、満を持してスタート! フォームもいいのでタイムも期待できる!?

中津さんのタイムは13秒23。ちなみに、ボルト選手が世界記録でゴールしたころ、中津さんはまだ70m付近。世界の壁は高い!

全力を出し切った中津さん。しかし、タイムは惜しくも目標には届かず…。「悔しい! また挑戦したい」の言葉に、前田さんも「いつでも教えるよ!」

一流になるには"学ぶ心"が大切

100mは、単純ですが奥の深い種目です。栄養、体の仕組みなど、さまざまなことを学ぶ必要があります。そうした学ぶ心を持って努力した人だけが、オリンピックの舞台に立てるのだと思います。

Maedaアスリートクラブ 代表
前田浩二さん

1974年、八代市生まれ。小学3年生から陸上を続け、現在も地元の子どもたちに指導する傍ら、現役アスリートとして競技会に出場。100mの自己ベストは10秒56。


記者が見た五輪

熊本日日新聞社編集三部
山本 遼さん

現地から選手たちの躍動する姿を活字で伝える新聞記者。前回のリオデジャネイロ大会での取材経験を持つ、熊本日日新聞社の山本遼記者にオリンピックのすごさや現地でのエピソードなどを聞きました。

規模の大きさがケタ違い。 五輪ならではの競技にも注目を!

リオ大会は、日本から見て地球の反対側にあたるブラジルでの開催だったため、到着に2日以上を要し、現地からの連載1回目の記事が「まだリオに着きません」というネタでした(笑)。

初の五輪取材でしたが、とにかく規模の大きさに驚かされました。私が使っていた世界中のメディアが集まるプレスセンターはもちろん、「オリンピックのためにリオの街を丸ごと貸し切ってある」という感覚でした。

8人の県勢が出場しましたが、「オリンピック」は背負うものの大きさが、各競技の世界大会とは違うことを実感。注目度や国民の期待も高いので、選手本人が純粋に「(競技を)楽しむ」とは言いづらい重みがありました。

街なかの至る所に銃を持った警備兵。でも記念撮影には気軽に応じてくれました

オリンピックには、200近い国と地域が参加し、30を超える競技で熱戦が繰り広げられます。中には、普段あまり目にすることのないマイナー競技や見慣れない国の選手もいます。そうしたものに目を向けるのも、オリンピックならではのスポーツの楽しみ方だと思いました。

リオ大会でのプレスパス。これがないと会場には入れません


オリンピアンに聞いた! 大会中はどうしてる?

宇城市出身で、アトランタ、シドニーと2度にわたってオリンピック出場を果たした川上優子さんに、選手村での過ごし方や、他国や他競技の選手との交流などについて聞きました!

キヤノンアスリートクラブ九州 監督
川上優子さん

1975年生まれ。信愛女学院高から沖電気宮崎に進み、アトランタ(1996年)、シドニー(2000年)両五輪の陸上1万mに出場し、アトランタでは7位入賞。現在、キヤノンアスリートクラブ九州の監督を務める。今年3月まで「すぱいす」に「川上優子のBeauty is」を連載。

Q1.選手宿舎は、どんなところでしたか?

アトランタ、シドニーと2大会に出場しましたが、宿舎は、大会終了後にどのような形で残すかによって随分様子が違うようです。アトランタは、学生向けのシェアハウスになる予定だったらしく、個室はあるけどリビングやシャワーは共用という学生寮のような雰囲気でした。一方、シドニーでは、住宅地として売り出されることになっていたので、さまざまなタイプの建物がありました。

アトランタ大会の選手宿舎と部屋の様子


Q2.競技や練習のない日は、どう過ごしていましたか?

自分の競技が終わるまでは試合のことが頭から離れないので、散歩程度に買い物に出かけたり、他の選手・スタッフと外食をしたりするぐらいでした。ただ、選手村の中には、24時間稼働しているレストランのほか、美容室やギフトショップ、ゲームセンター、ジム、カフェなどがあり、ほぼ出かける必要はありません。何より驚いたのは、村内にある自動販売機は、事前に渡されたコインやカードを使って無料で好きなだけ飲めたこと。「私は夢の世界に来てしまったのか!?」と思ったのを覚えています(笑)。

選手村のレストラン。イタリアン、アジアン、中華など、さまざまな料理が提供される


Q3.他国や他競技の選手との交流はありましたか?

選手村では、至る所で他国や他競技の選手に出会います。今なら気軽に声を掛けてスマホで記念写真を撮ったり、連絡先を交換してSNSでやりとりしたりもできるのでしょうが、当時はまだ携帯電話すらそれほど普及していなかったので、他国の選手との交流は活発ではなかったと思います。何より、初めての世界の大舞台で私自身に余裕がなく、今思うと「あの選手と写真を撮っておけば」と、少し後悔しています。

閉会式では他国の選手とも交流


「いだてん」金栗、山下「涙の金」 熊本を、日本を沸かす

第1回オリンピックから125年。日本人初となったマラソンの金栗四三さんを皮切りに、これまで115人の県勢選手が出場し、熊本を、そして日本を沸かせてきました。

近代オリンピックは、フランスの教育者クーベルタン男爵の提唱で、古代オリンピック発祥の地ギリシャの首都アテネで第1回大会(1896年)が開かれました。1912年の第5回ストックホルム大会(スウェーデン)に日本が初出場。現在の和水町出身で“日本マラソンの父”と呼ばれる金栗四三さんは、結果こそ途中棄権でしたが、日本のオリンピックの歴史はここから始まりました!

約50年の時を経た1960年の第17回ローマ大会(イタリア)で、嘉島町出身の田中聡子さんが水泳女子100m背泳ぎで銅メダルを獲得。県勢として初めて表彰台に上りました。1972年の第20回ミュンヘン大会(西ドイツ・当時)では、山鹿市出身の青木まゆみさんが、水泳女子100mバタフライで県勢初の金メダルに輝きました。

帰国後に故郷、旧矢部町の商店街をパレードする山下泰裕選手=1984年8月25日

1976年の第21回モントリオール大会(カナダ)の柔道男子無差別級を上村春樹さん(宇城市出身)が制したのに続き、1984年の第23回ロサンゼルス大会(アメリカ)では、同種目の山下泰裕さん(山都町出身)が、2回戦で負った脚の肉離れを押して、金メダルを獲得。その戦いぶりが日本中に感動を呼びました。

その後も、各大会で県勢が活躍を見せます。2008年の第29回北京大会(中国)で男子4×100mリレーのメンバーとして銀メダル獲得に貢献した末續慎吾さん(熊本市出身)や、2012年の第30回ロンドン大会(イギリス)のバドミントン女子ダブルスで垣岩令佳さんとのペアで銀メダルに輝いた藤井瑞希さん(芦北町出身)など、日本にその競技や種目初のメダルをもたらす快挙の立役者となっています。

熊本空港に帰郷した藤井瑞希(左)・垣岩令佳ペア=2012年8月8日