【415号】熊本地震から2年 前へ!前へ!歩み出した私たち
私たちの町に悲惨な爪痕を残した熊本地震発生から丸2年を迎えます。失われた生活の再建に頑張る人、楽しく生きようと努める人、新しいことに挑戦する人……。町には着実に、少しずつ笑顔が増えてきています。前へ、前へと力強く歩み出した皆さんの“いま”を紹介します。
町を元気にしたい
熊本地震の震源地である益城町は、甚大な被害を受けました。そのような中で、被災した店舗を集めた「益城町復興市場・屋台村」には、多くの被災者が集い、店主らと共に支え合ってきました。今、店主たちは店の再開にこぎ着け、町を元気にしつつあります。
Person Report 01
親子で来店できるバーを開店 町を笑顔でいっぱいにしたい
念願のバーを開店するはずだった日の前日に、地震によって店を失った市村修一さん。喪失感にさいなまれながらもカレーライスの移動販売で生活をつなぎ、その後、「益城町復興市場・屋台村」の仮設店舗で営業を続けてきました。
屋台村は昨年10月に営業を終了し、2カ月後には新しい場所で店の再開を果たしました。「屋台村でできた仲間が内装工事などを手伝ってくれたんです。2階にはキッズスペースを設け、夢に描いていた“子ども連れで来店できるバー”をようやく作ることができました」
新たな町づくりをするためには、自分たちのような店が3軒、4軒と増えてほしいと修一さんは言います。「ライバルではなく、仲間として町を元気にしていきたい」
熊本を笑顔でいっぱいにしたいと目標を語る香子さん。「店ができて、夢に一歩近づけたような気がします」
市村修一さん(34) 香子さん(37)/ 益城町
店の2階に設けたキッズスペース。子どもたちの居場所を確保しました
Person Report 02
心から安らげる店にして 傷ついた町の力になりたい
高橋栄児さんは、益城町宮園地区で50年以上親しまれてきた美容室で、母と妻の3人で働いていました。震度7の揺れに2度も襲われた店舗と隣接する自宅は、全壊。「途方に暮れましたね。町外の美容室に勤めに出ることも考えていたのですが、運良く屋台村の仮設店舗に入れるとの話が来ました」
屋台村では異業種の店主らの接客やサービスを見て勉強になったといいます。「いいものはまねてみました。また、一人で営業するスタイルも初めて学べました。自分にとって、いい経験ができた場所です」
昨年11月には、被災した店舗を建て直して営業を再開しました。仮設住宅から来店するお客さんもいるそうです。「髪をきれいにすると、気持ちに余裕を持ってもらえるでしょう。せめて店にいる間は安らいでもらえると、うれしいですね」
高橋栄児さん/益城町
屋台村でお客さんや子どもたちが書いてくれたメッセージは、新しい店の壁に貼っています
熊本復興ドラマが完成! 「ともに すすむ サロン屋台村」
熊本県は、昨年10月に閉鎖された「益城町復興市場・屋台村」を舞台にドラマを制作しました。復興に向け歩みを進めてきた県民の実話をリアルに描く、笑いや感動を交えたストーリーです。
出演者:高良健吾、倉科カナ、松岡未紗、中原丈雄、ほか多くの県民の皆さん
主題歌:「ともに」/WANIMA
ドラマをウェブで公開中! 詳しくは公式サイトへ。
http://tomoni-susumu.jp/
ともに すすむ サロン屋台村
自分らしく輝きたい
熊本地震以降、大好きだった趣味などを手放した人もいるかもしれません。好きなことや、新しいことを始めて自分らしく生きている人たちもいます。
Person Report 03
復興に向けて頑張れるよう 音楽の持つ力で後押ししたい
熊本地震の本震から2年となる4月16日に、県民らがベートーベンの交響曲第9番を歌う「復興祈念コンサート」が県立劇場で開かれます。第一線のバイオリニストとして活躍する鶴和美さんは演奏者として参加します。「音楽が復興に向けて頑張る人たちの力になれば幸いです」
本震が発生した夜、鶴さんはバイオリンを抱えて避難所に向かったそうです。「270年以上受け継がれてきたこの楽器を、私の代で壊してしまうわけにはいかないと、守るのに必死でした」
本震から1カ月後に益城町の避難所を訪問して演奏をした際、印象的な出来事がありました。「私の演奏を聞いて、赤ちゃんが泣き出したんです。避難してから笑うことも、泣くこともなくなった赤ちゃんが泣いてくれたと、大喜びするお母さんに感謝されました」。音楽には感情に訴える力があることを、改めて感じた瞬間だったそうです。
鶴 和美さん(67)/熊本市
コンサートに関する問い合わせは、くまもと音楽復興支援100人委員会 TEL:080-9853-5598まで
益城町の避難所に設置されたテントでバイオリンを演奏。たくさんの被災者が集まりました
Person Report 04
残された者が強く生きる! 何事にも挑戦してみよう
熊本大学に通う西岡史絵さんは、阿蘇市の実家で被災しました。大規模半壊と認定された実家は、今年3月に解体。身近には命を落とした人もいるといいます。
西岡さんは地震から1年間、熊本市内に住む姉と同居し大学へ通いました。「前向きで行動的な姉に影響され、『残された者が強く生きなければならない』と考えるようになりました。やりたいと思ったことは、何でも挑戦してみようという気持ちが芽生えました」と振り返ります。
被災した年の夏には富士登山に挑戦。今年2月には熊本城マラソンに参加しフルマラソンを完走しました。「どちらも本当にきつかったけれど、強く生きていく上での自信につながりました」
震災直後、避難所生活をしていた時に外で遊ぶ子どもたちから元気をもらったという西岡さん。「小学校の教員になるのが夢。子どもたちと元気に毎日を過ごしたいです」
西岡史絵さん(22)/阿蘇市
今年の「熊本城マラソン」では、フルマラソンを6時間半かけて完走
地震から2年、読者に聞いた「私のいま」
地震を経験して思ったこと、生活に起こった変化、家族の出来事などを聞いてみました。
おでんさん(44)/北区
地震から得た教訓で、生活を見直しました。地震の時は一番「水」で困ったので、2Lペットボトルの水をストック。お風呂の水も掃除の直前に抜くようにして、いざというときに備えています。災害は忘れた頃にやってくるので、日頃から気を付けたいと思い実行しています。
川上まりさん(34)/東区
半年前から仕事の合間に趣味の習い事を始めました。始めてから1カ月がたった頃、ふと体の緊張が解けたような感覚がありました。もしかしたら、地震の時の疲れがまだ取れていない方がいるかもしれません。何か一つでも日常生活の中で笑うことのできる時間を持ち、楽しいと思えることをやってみるといいですよ。
きわこさん(50代)/中央区
地震で分かったのは、高齢の母を私一人では守りきれないこと。1年かけて老人施設を見て回り、建物の地震対策と職員さんの明るい雰囲気で入所先を決めました。母は職員や入居者たちとおしゃべりできて、みるみるうちに顔色が良くなり元気に。つらかったですが決断してよかったと思います。
じょんたろうさん(29)/御船町
地震当時、私の職場の託児所に行き始めた娘も、4月から保育園に通います。毎日一緒に職場に通勤していたので、それが終わることが寂しくもあり、これからのワクワクでもあります。あれから2年かと思うと、子どもの成長も時間がたつのも早いなと感じました。
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