【468号】あなたにとってどんな時代でしたか? プレイバック! 熊本の平成 

新たな元号が「令和」に決まり、30年間続いた「平成」が間もなく幕を閉じようとしています。あなたにとって、平成とはどんな時代でしたか? 熊本にとってもさまざまな面で“転換点”となった時代を、いろいろな角度から振り返ってみました。次の時代のスタートを前に、ほんの少し立ち止まって平成を"おさらい"しましょう!

くまもと平成史・上

くまもと平成史・下


まち、ファッション、音楽、スポーツ─ キーパーソンが振り返る 熊本の平成

まち、ファッション、音楽、スポーツ。県内の各分野で活躍している方々に、それぞれの視点で平成という時代と、熊本の動きを回顧してもらうとともに、新しい時代への期待を語ってもらいました。

まち Town

熊本地震を経験し中心市街地が団結 地域コミュニティーの核として にぎわい復活の兆し

私は、平成3年に28歳で下通繁栄会の青年部長、2年後に事業部長になりました。当時を振り返ると、熊本は「ファッションの街」として全国から注目を集め、個性的な若者たちでにぎわっていました。事業予算もふんだんにあり、「オシャレウィーク」やダンスコンテストなど、多くのイベントを仕掛けたのを覚えています。

一方で地価が高騰し、「若者がチャレンジしにくいまち」になったのも事実です。平成10年ごろを境に人の流れが変わり始め、上乃裏通りや藪の内通りなどの路地裏に、洋服店、美容室、飲食店の出店が相次ぎました。加えて、郊外に次々とできた大型ショッピングモールの影響もあり、ファミリー層を中心に、徐々に“まち離れ”が進んでいきました。

転機になったのは熊本地震です。熊本市中心市街地にも大きな被害が出ましたが、商店街の皆が体験を共有したことで団結。「もう一度、まちを盛り上げよう」という機運が高まりました。消費者にも「まちに行けば、誰か知り合いに会える」という地域コミュニティーの核としての価値が見直され、地震後の交通量は増えています。今秋には桜町再開発施設がオープンし、2年後には熊本駅ビルの開業も控えています。これからも切磋琢磨(せっさたくま)の意識を持って、中心市街地の活性化にチャレンジし続けていきます。

アーケード街を中心として発展した熊本の"まち"。時代の進展とともに、どう変化していくのかが楽しみです


ファッション Fashion 

ファッションは時代を映す鏡 平成の前後半で熊本も大きく変化

平成は私にとっても思い出深い時代。百貨店でコーディネーター、スタイリストとして勤めた後、平成元年に独立し、美容室「ジャランジャラン」を立ち上げました。時代は、まさにバブルの絶頂期。シャワー通りを中心に、DCブランドに身を包んだ男女が闊歩(かっぽ)し、夜はボディコンに着替えた女性がディスコへ。当時のファッションは、「自分のために着る」のではなく、「人に見せるために着る」という意識が強かったように思います。

しかし、バブルの崩壊とともに、消費者の価値観が大きく変化。それまで安さがウリだった「ファストファッション」のデザイン性が向上し、市民権を得ます。さらに、近年はインターネット通販も台頭。地方のアパレルショップは、厳しい状況になりつつあります。

ファストファッションやインターネット通販には、手頃な価格や便利さというメリットがある一方で、コーディネートが均一化され、近年、個性的なオシャレを楽しむ若い人たちが減っている印象を受けます。アパレルショップに行けば、スタッフとの会話の中から情報を得られたり、トレンドを取り入れた提案をしてもらったりと、自分では気付かなかった発見があります。熊本の皆さんには、ぜひ、双方の良いところを上手に取り入れながら、“新しい自分”に挑戦してほしいですね。

熊本のファッションの

熊本のファッションの"発信源"として一世を風靡(ふうび)したシャワー通り。平成の熊本を象徴するスポットの一つ


音楽 Music

平成初期のバンドブームに原体験を持つ 熊本の若い世代が全国区で活躍!

バブルの崩壊とともに、90年代前半のバンドブームが下火になったのに加え、その後のデジタル機器の進歩や、「バンドの人間関係が面倒くさい」という若い子が増えたことで、ストリートなどから一人で出てくるアーティストが増えた印象がありますね。今、熊本でも貸しスタジオやライブハウスなどは、バンドで使う若い子はあまりいなくて、40~50代のオジサンばかりが元気(笑)。

ただ、ここ数年、当時音楽の原体験をした「KEY-TALK」(ボーカル・ギターの寺中友将さんが熊本出身)や「WANIMA」(メンバー全員が熊本出身)といった元気なバンドが出てきているので、平成はつなぎ目のような役割で “世代交代”の時代だったのかもしれません。

次の時代に向けては、12月に開業する「熊本城ホール」にも注目ですね。これまで既存のホールのキャパ(収容人数)の問題などで、「熊本は大物アーティストが素通りする」と言われていましたが、これを機に増えるのでは…。音楽好きにとって、“聴く環境”は間違いなく良くなると思うので、そこで刺激を受けた熊本の若い世代が、どんな音をつくり出していくのかを楽しみにしています。

昭和、平成と、熊本での音楽公演のメッカだった市民会館シアーズホーム夢ホール。熊本城ホールの完成でアーティストの"熊本スルー"に歯止め!?


スポーツ Sports

プロチームの誕生きっかけに 「スポーツ」が地域を元気にするツールに

「平成」には、熊本のスポーツ界でもさまざまな出来事がありましたが、特に大きな動きだったのは、「熊本にプロスポーツチームができた」ということだと思います。

平成17年にサッカーのロッソ熊本(現ロアッソ熊本)が誕生し、その後、平成20年から、私たちがバスケットボールのプロチーム立ち上げを目指して運動を始めました。昭和は、「プロスポーツといえば野球」という時代でしたが、サッカーのJリーグ発足を機に、さまざまなプロリーグが立ち上がり、それとともに「スポーツ」が地域を元気にするツールの一つとして認識されるようになった気がします。また、プロチームができたことで、子どもたちが身近な地域で感動体験や夢を持てるようになったことも、熊本にとってとても重要なことだと感じています。

2つのプロチームをこれから先も根付かせていくには、一試合一試合を大切にし、選手と地域との触れ合いの機会を増やすなど、地道な努力を続けるしかありません。ヴォルターズは、活動開始から10年が経過しました。新たな時代はチームにとっても転換期。“次のステージ”に上がるためにも、さらにさまざまなチャレンジをしていく必要があると思います。

老若男女問わず多くの観客が詰め掛けるロアッソやヴォルターズのホームゲーム。地域を活性化させる上でスポーツが果たす役割は大きい<写真提供/熊本バスケットボール(株)>

老若男女問わず多くの観客が詰め掛けるロアッソやヴォルターズのホームゲーム。地域を活性化させる上でスポーツが果たす役割は大きい<写真提供/熊本バスケットボール(株)>


コレって熊本発!? Is this from kumamoto?

平成の間に熊本で流行したあれコレ。その中には、「熊本が発信源では!?」というものも。確たる証拠はありませんが、そんな「熊本発(っぽい)」流行(はや)りモノについて、かつて某タウン誌編集長を務めていたライター岡と、タレントの樫山結さんがユル~く語り合います。

ライター岡
(岡)

昭和53年生まれ、40歳。元タウン誌編集長。流行には人一倍敏感…だったのは、もう過去のこと

ライター岡

樫山 結さん
(結)

昭和62年生まれ、31歳。タレント。今年、タレント生活10周年。数々のロケ取材で県内の流行に精通!

樫山 結さん


フレッドペリーのポロシャツ

推定流行年代:平成2~4年ごろ
"オシャレの発信地"だった熊本

イギリスのファッションブランド「フレッドペリー」のポロシャツに、イージーパンツと「SENSI」のビーチサンダルといういでたちが突如、増殖! 今にして思えば、なかなか「?」なコーディネート…。

(岡)

このスタイルが流行ってた頃は、街じゅうにあふれてたのよ。

(結)

へえ~。でも、今見ても結構オシャレですね。

(岡)

えっ! ホントに? 流行がひと回りして、そう見えるのかな?

(結)

私が中高生の頃、MA-1のリバイバルブームがありましたしね。

フレッドペリーのポロシャツ


タオラー

推定流行年代:平成2~4年ごろ
オシャレ? 汗拭き? 謎の流行

制服だろうが私服だろうが、夏は必ず「首にタオル」。そんなスタイルが高校生を中心に大流行。特に特定のブランドというワケでもなく、とにかくタオル! ただ単に汗拭きだったのか!?

(岡)

そもそも「タオラー」って聞いたことある?

(結)

いえ、まったく初耳です(笑)。

(岡)

結ちゃんの高校時代に流行ってたら、やってた?

(結)

“わさもん”なんで絶対やってましたね!

タオラー


タピオカドリンク

推定流行年代:平成18年ごろ~
現在も人気が続く台湾発祥ドリンク

台湾発祥の人気ドリンク「タピオカミルクティー」。他県から来た人が、「なぜ熊本には、こんなに多いの?」というほどタピオカドリンクの店が多い。やっぱり、台湾と一緒で暑い土地柄だから!?

(結)

タピオカドリンクは、私の高校時代に全盛でした!

(岡)

やっぱり放課後とか街に出て飲んでた?

(結)

並んで買ってました。好き過ぎて2杯とか(笑)。

(岡)

今でも人気だよね。

(結)

ドリンクがスムージー系だったり、ホットだったり、常に進化してるからでしょうね。

タピオカドリンク


ちくわサラダ

推定流行年代:平成元年ごろ~
ちくわとポテサラのコラボが絶品!

総菜メーカー「ヒライ」が昭和59年に発売を始めた熊本独特の総菜。その後、居酒屋やスーパーでも人気メニューに。太平燕(タイピーエン)同様、「全国どこにでもある」と思い込んでいる人も少なくない!?

(岡)

高校卒業後に上京した時の「三大衝撃」の一つがコレ!

(結)

えっ! どうしてですか?

(岡)

だって、東京には売ってなかったのよ(当たり前だけど…)。

(結)

それって、「リバテープ」とか「あとぜき」が全国共通と思っているのと一緒ですね(笑)。

ちくわサラダ


たい焼き

推定流行年代:平成18~19年ごろ
瞬間的に吹き抜けた"たい焼き旋風"

たい焼き自体は古くからあるお菓子だが、なぜか突然、たい焼き店が乱立! カスタード、チョコといった変わり種の餡(あん)はもちろん、「白い皮」を売りにする店など、いろいろ登場した。

(結)

覚えてますよ! 謎のたい焼きブーム。高校を卒業した頃かな。

(岡)

ちなみに、最高で1日何個食べた?

(結)

その質問は「NG」です!

たい焼き


長かったような短かったような30年

"元年生まれが振り返る「私にとっての平成」

「平成」の幕開けと同時に産声を上げた元年生まれの皆さん。まさに時代とともに歩んだといえる30年間を振り返り、「私にとっての平成」をしたためてもらいました。

井上 大樹さん(会社員)

昭和生まれの会社の先輩方から、「平成=ゆとり世代」と言われますが、小学6年までは土曜授業がありました(笑)。

江﨑 美樹さん(会社員)

「昭和」といえば戦争というイメージ。それに比べて平成は、自然災害などは多かったけれど、平和な時代で良かったです。

塩平 大輔さん(会社員)

物心ついたときには、すでにバブル景気が崩壊していたので、「不景気な状態」が当たり前。一度でいいから好景気を味わってみたいです!

永木 里奈さん(会社員)

23~25歳ぐらいにかけて、ラジオ局のリポーターとして県内各地を回り、たくさんの人と出会い、おいしいものを食べ、結果、太りました(笑)。

園田 里佳さん(会社員)

自分自身が平成の始まりとともに生まれ、その時代の中で結婚・出産・子育てと幸せな出来事を経験でき、とても充実していました!