【486号】すぱいすフォーカス – “銅像”になった武士(モノノフ)たち 菊池川流域
銅像って何か不思議な魅力を感じませんか!? 熊本地震からの復興のシンボル『麦わらの一味』の像の設置が決定しましたが、すべての完成はもう少し先。そこで、菊池川流域には勇者(武士)たちの銅像が点在していると聞き、その雄姿を愛でに行ってきました!!
(1)菊池武光(たけみつ)公騎馬像
「いざ出陣!」南朝を九州から支えた菊池氏の騎馬像
日本三大合戦の一つといわれる筑後川の戦い(1359年)。出陣する菊池氏15代当主武光を表現したのが、『菊池市民広場』に立つ騎馬像です。大鎧(よろい)をまとい、目指す大宰府に向けて軍配を掲げる武光。今にも駆け出しそうな躍動感に見入ってしまいます。市民広場の西側にある『菊池神社』には、武光の父で12代当主の武時の騎馬像も。正面に広がる菊池市街を眺めれば、南北朝期に活躍した菊池一族の奮闘が目に見えるようです。
※高さは台座を除く像の高さです
(2)菊池武時(たけとき)公騎馬像
(3)隈部親永(ちかなが)公像
平服姿で領主の思いやりを表現
『あんずの丘』の駐車場からも見える巨像は、戦国時代末期に山鹿・菊池一帯を領有した隈部親永。菊池氏の家老職に就き、同氏が衰退すると勢力を伸ばして有力国衆になりました。秀吉の九州制圧後、強引な検地を拒否して肥後国衆一揆(1587年)を起こしますが、願っていたのは領地・領民の安寧。平服で扇を持つ姿の銅像には、そんな親永の思いが込められているそうです。
(4)和仁氏三兄弟像
3体のフォーメーションで秀吉軍に抗戦!
旧三加和町の中央に位置する『田中城』。丘陵の麓に、ずんぐりとゆるい造形の像が並んでいます。肥後国衆一揆を起こした隈部親永に同調した和仁親実(わに・ちかざね)・親範(ちかのり)・親宗(ちかむね)の3兄弟。籠城による徹底抗戦で「秀吉軍を最後まで手こずらせた」といわれています。元は丘陵の城跡にありましたが、城跡が国史跡に指定されたことで下山したとか。3体並ぶ姿は、今にも攻撃をたたみかける“黒い三連星”のようです。
話題の"いだてん"も銅像に
(5)(6)金栗四三銅像
大河ドラマの主人公になった金栗四三氏も、勇者(モノノフ)といっていいですよね!?
ゆかりの玉名市には、マラソン足袋を履いた若き姿(JR新玉名駅)、笑顔で走る晩年の姿(玉名高校)の2体の像があります。いずれも玉名高校同窓会が制作。“誇れる先輩”として親しまれていることがうかがえます。
場所
玉名市/JR新玉名駅・玉名高校
銅像の楽しみ方
銅像ってどう見たらいいのか。県立美術館の林田さんに聞きました。
味わいポイント
その1.立つ場所
その2.ポーズ
その3.スケール感(いろんな角度から観賞)
銅像になる人物は、土地の歴史に深く関わっているもの。立つ場所やポーズにも意味が込められているので、由来が書かれた台座の銘板もしっかりチェックしましょう。
教えてくれたのは
熊本県立美術館 学芸員
林田 龍太さん
「菊池一族の戦いと信仰」開催中
熊本県立美術館本館 ~9月1日(日)
流域の稲作文化が日本遺産に認定された菊池川。その二千年の歴史を戦いと信仰でたどります。
今回、紹介した像のことも理解が深まるはず。
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