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ずっしー(熊大新聞社)

きれいな写真が好きだが、外出しないため撮るものに困るインドア派の理学部3年男子学生。最近はスマホの画質の良さに歓喜している。


歴史の旅に出かけよう

本紙では主に立田自然公園の庭園の美しさについて語ったが、ここでは細川家のある人物について話すとしよう。

「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」。皆さんはこの歌をご存知だろうか。細川家二代忠興の妻ガラシャの辞世の句である。意訳すると、「花は散る季節を知っているからこそ、花として美しい。私もそうありたい」となる。初めてこの歌を聞いた人は、ただただかっこいいと思うかもしれない。または凛としてクールな女性を思い浮かべる人もいるだろう。その上で、ガラシャという人物の生涯を知ってみてほしい。

そもそも「ガラシャ」とは洗礼名であり、実名は玉子(たまこ)または玉(たま)という。玉子は忠興に嫁ぎ、幸せな日々を送っていた。しかし、ある日を境に平穏とは程遠い生活を余儀なくされることとなった。天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変である。明智光秀の三女でもある玉子は「逆臣の娘」とされ隔離・幽閉される。2年後、羽柴秀吉の計らいによって細川家の大阪屋敷に戻され、忠興との同居も許される。
カトリックの教えに魅かれていったのがこの時期だといわれている。後に玉子が洗礼名を受けたことを知った忠興は怒り、棄教させようとしたが、玉子は頑として聞かなかった。それから忠興は5人の側室を持つと言い出すなど、ガラシャに対して辛く接するようになる。

更に関ヶ原の合戦直前、大阪方では東軍に味方する諸大名の動きを封じるため、妻子を人質にしようと、大阪城に入るように要請される。しかしガラシャはそれを拒んだため、催促の使いのものは兵を引き連れ屋敷内へ押し込む気配を見せた。そこでガラシャは侍女たちすべてを逃がし、屋敷に火を放って自害したのだ。享年38歳であった。

そして、この時に詠んだ句が冒頭で挙げた歌である。私はこの歌の中に、周りに振り回され波乱な日々を送ることとなった悲しさ、そして自分の意志を曲げない強さ・頑固さを感じた。果たして皆さんは今、この歌をどう感じただろうか。最初に抱いた印象とはまた違っているのではないだろうか。

そしてふと、私はある有名な歌を思い出した。「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」(小野小町)。「美しかった花の色も空しく色あせてしまったのですね。長雨が降るのを物思いにふけって眺めているうちに、私の容貌もすっかり衰えてしまいました」という意味であるが、なんとなく似ているような気がするのだ。詠んだ季節が違えば時代も違う。歩んできた人生も当然違うし歌の意味だってやはり違う。それでも歌から感じる悲しさや、自分の人生と花を照らし合わせる感性など共通するものがある。そんなことを考えてみると、時代を超えて偉人たちが繋がっていくような感覚を覚えて少しわくわくするのだ。

皆さんも日常から離れて、歴史の旅に出てみてはどうだろうか。自然に包まれながら偉人の声に耳を澄ませてみるのもまた優雅なひとときに違いない。