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Tsubasa

2年前に哲学に出会って以来、哲学に魅了されている工学部の大学院生。オンラインをどう活用するかを日々考えている。


哲学対話にハマっています

最近、全国の学生や社会人の方々とオンラインで哲学対話することにハマっています。

そもそも哲学対話という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

哲学対話にもいくつか種類があるのですが、私がやっているのは現象学という哲学の学派をベースにする「本質観取」というものです。
本質観取は「〇〇とは何か?」というテーマを立て、参加者全員がそのテーマに関する経験を出し合い、参加者全員が納得できる本質を考えます。
例えば「ダサイとは何か?」「気まずさとは何か?」といった感じです。「気まずさ」がテーマであれば自分が気まずさを感じた経験を出し合って、それの経験から共通する本質を抽出していきます。


実生活に生かせる

哲学というと難解で実生活とかけ離れたことを考えているというイメージを持つ方もいるかもしれませんが、哲学対話では日常生活に根付いたテーマを扱うことができるため、すぐに実生活に生かすことができます。「ダサイ」の本質が分かれば自分がダサくなるのを防げるかもしれませんし、気まずさの本質がわかれば気まずい状況を打破できるヒントが得られるかもしれません。

ちなみに、以前、「ダサいとは何か」を考えた時の結論は「不調和への無自覚」となりました。
TPOをわきまえていなかったり、サイズの合っていない服を着ていたりという「不調和」に対して無自覚であることが「ダサい」の本質だと考えました。

このように毎回テーマに関する結論を2時間の対話で考え出します。2時間というのは思ったよりあっという間でほとんど毎回少しモヤモヤした感じが残ります。

「ダサい」の場合でも、本当に全ての「ダサい」が「不調和への無自覚」で説明できるのかという疑問が残りました。しかし、モヤモヤが残ることが悪いことだとは思っていません。モヤモヤを残すことで、日常生活の中で「ダサい」に出会ったときにさらに深く考えようと思うことができます。普段何げなく見逃してしまっていることを考えるようになるきっかけを与えてくれるのです。

本質観取では、参加者が挙げた事例から本質を抜き取る


私が哲学対話を知ったのは熊本大学に所属する哲学者である苫野一徳准教授のゼミでした。

みんなで知恵を絞り、全員が納得できる結論が出たときの達成感を強く感じたことや哲学が実生活に役に立つことに驚いたことを覚えています。それをもっと広く知ってほしいと思い、週に1回オンラインでこの活動を始めました。

価値観の違いに気づく

哲学対話をしていると、自分の価値観を再認識したり、他人の価値観を知ったりすることができます。

例えば、何をダサいと思うかは人によって違います。私がダサいと思うことが他の人にとってはダサくないこともあります。そのようなことを対話を通して気づきます。この価値観の違いに気づくことはとても大事なことです。

近年、不安定な社会情勢により価値観の違いによる対立が頻繁に起きています。自粛を守らない人やそれを過剰に非難する人などの身近な対立から、アメリカでの黒人差別問題による社会の分裂などの大きなものまでさまざまです。

哲学対話ではそのような価値観の違いを受け入れます。そしてその価値観の違いがなぜ起きているのかをその人の欲望まで遡って考えていきます。
「ダサい」について考えている時、「親の七光を誇示している人はダサい」という意見を言った人がいました。なぜそれをダサいと感じるのかを聞いてみると、正当に自分の評価をしてほしいという欲望が根底にあることが分かりました。
このように欲望の次元にまで遡ると他者の価値観を承認して受け入れるだけでなく、そこから生じる問題を解決することもできます。

私が主催する哲学対話には高校生から経営者、留学生までさまざまなバックグラウンドを持った方々に参加してもらっています。異なる属性の人たちは異なる価値観を持っているのが当たり前です。社会生活を営む上で異なる価値観の人々を承認し、共に歩んでいくことは必要不可欠です。哲学対話は価値観の違いを認め合い、その落とし所を見つける訓練になっていると感じています。