「ノーベル文学賞、 ジョイス・キャロル・オーツ、ミステリ年間傑作選」

9月。いつのまにか蝉の声も聞こえなくなって、すっかり秋の空。そんな秋の読書と言えば、ウィスキーのグラスを傾けながらのミステリー。
40を過ぎると奇抜なトリックよりも、「なぜ犯罪に至るのか」と、人間の“闇”の部分をじっくり描いた作品の方が読み応えありますね。
一方でこの時期はノーベル文学賞の行方も気になってきます。
昨年はボブ・ディラン。代理で授賞式に出たパティ・スミスが「A Hard Rain’s A-Gonna Fall」(激しい雨が降る)を歌ったのがまだ記憶に新しいです。
じゃあ、今年は?
「今度こそ村上春樹に!」と願いつつも、ケニアのグギ・ワ・ジオンゴかな…。

ブックメーカー(賭け屋)の予想ではここ数年ずっと上位。2014年のパトリック・モディア、15年のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチと長年、「獲る、獲る」と言われてきた常連が受賞していますからね。それに2003年のJ・M・クッツェー以来、アフリカ大陸から遠ざかっていますし。
選考委員会の間でその年、実際に誰が候補となっているのかは決して明かされません。
何十年も経って、三島由紀夫が1968年の最終候補だったと明かされたのが先日、ニュースになっていましたし。
今年もブックメーカーが独自のリストを作成してオッズをつけていることでしょう。

現代アメリカ文学だとフィリップ・ロス、ドン・デリーロ、トマス・ピンチョンといった大御所が次に続くのではないかとされていますが、同じぐらいオッズが高いのが、今回取り上げるジョイス・キャロル・オーツ。
日本での知名度はあまり高くはありません。
短編を中心にものすごく多作な作家で、強いてジャンルを当てはめるならばミステリーやホラーってことになるのでしょうか。
残酷で暴力に満ち溢れていて、遠く向こうに救いが見えるような見えないようなストーリーを極めてリアルな文体で書いています。となると思い浮かぶのはスティーブン・キングですが、キングがあくまでエンターテイメントとして書いているのに対し、オーツは純文学として言葉を紡いでいるように感じられます。
似たような資質を持っていたのは20世紀半ばのアメリカ南部を代表する作家、フラナリー・オコナー。オコナーもまた心の奥底に巣くう邪悪なものを暴き出していました。オーツはその継承者として、インターネットとSNSの時代にアップデートされたかのようです。
残念なことに日本だと一冊の本にまとまって読めるものは少なく、傑作選としては『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』(河出書房新社/2013年)が出ているぐらいです。

他にどこで読めるかというと…、オットー・ペンズラーという編集者によるアメリカ・カナダのミステリー年間傑作選があります。
ペンズラーたちが5000を超える応募作の中から50編を選び、さらにそこからロバート・B・パーカー、エド・マクベイン、マイクル・コナリー、といったその年のゲスト・エディターが20編に絞り込みます。
無名の新人からベストセラーを連発したベテランまで幅広いメンツが並ぶことになるわけですが、ジョイス・キャロル・オーツは、そこにほぼ毎年選出されるという偉業を達成しています。選ばれなかった年は「自分がゲスト・エディターだったから」。
決まってオーツの作品が後半2/3辺りに登場するのですが、様々な質感と内容のミステリーがそれまで並んできた中で、最も凄惨で最も深遠な作品を放つことで、海底に沈むアンカーのような役割を果たします。
なお、この傑作選は『アメリカミステリ傑作選』として2000年から03年までをDHCから、『ベスト・アメリカン・ミステリ』として04年から08年までをハヤカワ・ミステリから、『ベスト・アメリカン・短編ミステリ』として、09年、11年、13年版がDHCから出ています。
個人的には「もはやこれはミステリーではない」と賛否両論だったスコット・トゥロー選による2006年の『クラック・コカイン・ダイエット』がお勧め。
「誰が殺したのか」「どう殺した」から、「なぜ殺したのか」へ、現代ミステリの向こう先とその視野の広さが一望できます。

さてノーベル文学賞。ジョイス・キャロル・オーツが受賞すると嬉しいのですが、当面はないかな。アリス・マンローが「短編の名手」という理由で2014年に受賞。なんだか似ている。
このマンローもまた傑作選の2009年版に選ばれていて、オーツの作品の隣に、不気味な双子の姉妹のように寄り添っています。


テキスト/おかむー

青森生まれのアラフォー男子。ひょんな縁から熊本生まれの妻と結婚し、いまや体の半分は熊本人。幼少時から本と音楽が命の源で、家には膨大な量の本とCDを所有。妻の断捨離攻撃に震えながら暮らしています。