2017.12.16 鹿児島県、知覧

〜1つしかない命を投げ捨てて散って行った若者達の事を忘れてはならない〜
”特攻の母”鳥濱トメさんの「富屋食堂」へ

あなたの幸せを願う以外になにもない。
徒(いたずら)に過去の小義(しょうぎ)に拘る勿れ
あなたは過去に生きるのではない
勇気を持って過去を忘れ
将来に新活面を見出すこと
穴沢は現実の世界にはもう存在しない。
智恵子会いたい、話したい、無性に。
今度は明るく朗らかに
自分も負けずに朗らかに笑って征く
昭和20年4月13日
(福島県出身の穴沢利夫さん(当時23歳)が許嫁の智恵子さんへ送った遺書より抜粋)

遺書を読み、言葉を失う程の衝撃を受けました。
「特攻隊は国家の英雄だ」。
これが学校で学んできた特攻隊のイメージ。
皆がお国のために、喜んでその命を差し出して出撃したんだと思っていました。
ところが知覧で特攻隊の若者や家族、そうした人々を見守る人々の思いを初めて知りました。
そして「暗黒の戦前・戦中を美化することなく、その事実を現代人へと伝承する」使命を全うしている方の貴重なお話を聞く機会をいただきました。

富屋食堂
ここは戦時中、特攻隊員の軍指定食堂でした。
富屋食堂の女主人・鳥濱トメさんは、この食堂で多くの特攻隊員の面倒を見て、“特攻の母”と呼ばれた人です。

20歳そこそこの若者が250キロもの爆弾を乗せて、自分の命と引き換えに敵艦に突っ込んでいった特攻隊。
これまで「特攻隊の飛行機は全部、一度出撃すると戻ってくることができないように片道分の燃料しか積んでいない」と思っていましたが、「そうでなかった」ということを、この知覧で知ることができました。
こうした特攻隊に関する事実を知ることができ、「国のために命を捧げることが生きた証しだ」という考えがあった時代に生まれ、その時代に生きた英霊達の生き様を垣間見ました。
そして真実は直接、自分の目で見て耳で聞くことで理解することができることを、改めて心に留めることも。

特攻隊の若者にとって生きて戻ってくることは“お国の恥”とされ、決して許されるものではない中で、機体の整備不備による不時着などで生き残った隊員達もいます。

自分はなぜ生き残ったのか。
生き残ったが戦友に申し訳ない
恥ずかしくてもう生きていけない

そう話す特攻隊員に、トメさんが伝えた言葉です。

なぜ生きのこったのか考えなさい
なにかあなたにしなければならないことがあって
生かされたのだから

シンプルな言葉だからこそ、胸に響いたのか、今の私を取り巻く環境が背景あってこそ、心に響いたのかは分かりません。
でも、自然と涙が出ました。
どんな美辞麗句を用いても大切な人を想う言葉ほど心打つものはないと思います。

富屋旅館には出撃前に特攻隊員達が書き記した遺書がたくさん展示されています。
この手紙を1つ1つ読み進めるにつれて、生きることの意味について深く考えさせられ、70年前の事実を直視した貴重な経験にもなりました
そして、この先もまだ生きたかったであろう、彼らの尊い“命のバトン”を受け取って、私も大切な人達に自分なりの言葉で伝えたいと思います。

是非とも機会があれば、多くの人に訪れて欲しい場所です

庭先にあるこの池(今では草が生い茂っています)は、防空壕代わりとして、トメさんたちが身を隠していた場所です。


テキスト/Shiori.A

「九州の魅力伝え隊」として大好きな日本酒と出会いながら、一人でも多くの方が足を運びたくなるような、九州の魅力たっぷりな場所を訪れ、紹介しています