【467号】街のランドマーク 熊本市内中心部の白川に架かる橋の名前 知っていますか?(下)
市街地を流れる白川に架かる橋の名前と由来を探るシリーズ。大甲橋から上流について紹介した「上」に続き、今回は安政橋から下流に架かる橋について整理してみました。古くは江戸時代に架けられた橋もありましたよ。
大甲橋から見る明かりがともった安政橋。奥は銀座橋
07 安政橋(あんせいばし)
安政4(1857)年、巳(み)の年、長六橋に次いで白川に架けられた橋。その年号にちなみ安政橋と名付けられ、後に年号と干支から安巳(やすみ)橋とも呼ばれるように。現在は両方の名称が使われています。明治末には、ここから水前寺まで熊本軽便鉄道が敷設されました。小泉八雲が、熊本の思い出をもとに書いた短編小説「橋の上で」の冒頭に出てくる橋はコレ。道幅が狭く終日一方通行です。
水前寺まで走った軽便鉄道をモチーフにした街灯が今も残ります
08 銀座橋(ぎんざばし)
先は本荘、手前が銀座通り
09 新代継橋(しんよつぎばし)
熊大病院横。安政橋から代継橋まで約200mの間隔で橋が架かっています。
10 代継橋(よつぎばし)
車の往来が多く6車線あります。本荘側にあった旧代継宮の脇を通っていたことからこの名に(現在、代継宮は北区龍田に移転)。昭和45(1970)年までは、南熊本駅へと続く熊本市電春竹線が通っていました。
橋の両側の歩道に踊り場があり、白川の流れを眺めることができます
11 長六橋(ちょうろくばし)
一番古い!
国道3号が通る橋。慶長6(1601)年に架けられたことから長六橋と名付けられました。加藤清正が熊本城築城時、白川に架けた最初の橋です。度重なる水害で何度も架け替えられましたが、昭和初期のアーチ橋は、6・26水害にも持ちこたえたそう。
昭和40(1965)年まで、熊本市電川尻線が走っていました
12 泰平橋(たいへいばし)
ニュースカイホテル横。川沿いに遊歩道が続き、夜はブルーの光でライトアップ!
13 白川橋(しらかわばし)
熊本駅白川口の正面に位置。歩道には「フライングライト」と呼ばれるオブジェ風の屋根があり、日が暮れると発光して、辺りは幻想的な雰囲気に。
高層マンションをバックに、近未来的な感じ!
14 世安橋(よやすばし)
人と自転車のみ通行できます(ペットもOK!)
15 新世安橋(しんよやすばし)
中央区世安町の世安交差点の西に架かる橋。古町小近くの小さい公園には、明治5年から3年間、白川県庁(当時の県名は白川県でした)が置かれていたことを示す「明治天皇行幸白川県庁跡」の説明板が立ちます。「白川の水害に度々悩まされた」ことが、熊本城内へ県庁が移転する理由の一つだったとか。
(上)で紹介した橋も一緒に保存版。
特集
【466号】街のランドマーク 熊本市内中心部の白川に架かる橋の名前 知っていますか?(上)
県内には色が付いた川が3つ流れています。阿蘇南郷谷から熊本市の中心部を流れる白川、阿蘇五岳の北を流れ立野付近で白川と合流する黒川、九州脊梁(せきりょう)から熊本市南部へ流れる緑川の3つ。といっても、色…
6
【取材協力】NPO法人 白川流域リバーネットワーク
コメント
0