【576号】くまもと街なか歴史再発見 上通界わい編
城下町のなごり あちこちに
熊本城に程近い上通界わいの路地や街並みには、城下町の名残がいっぱい。熊本地名研究会の毛利秀士さんと一緒に歩き、いろいろな発見をしてきました。歴史を知ると、いつも通る道も楽しくなりそうです。
「昔」と「今」が融合 文化的雰囲気漂う街並み
通町筋から北に延びる「上通」。歴史は古く、江戸時代には上通を挟んだ両側に、武家屋敷が立ち並んでいました。今も裏通りには、屋敷跡や石垣などが点在。通りの名前からも、ここが城下町であったことが分かります。
明治になると、現在の白川公園の場所に熊本県庁が、草葉町に熊本市役所が置かれ、女学校も次々と開校、役人や学生が集う街に。上通に書籍や古書店、文具店の老舗が多いのは、こんな歴史的背景があったからなのです。
個性的でおしゃれなお店が多い一方で、街並みや通りに歴史を残す上通界わい。時代を感じながら歩いてみませんか。
一緒に歩いて教えてくれたのは
熊本地名研究会
毛利 秀士さん
(1)長安寺通り
この通りに平安時代から明治まであった「長安寺」というお寺の名にちなみます。この辺りには、身分が高い武家の屋敷がありました。
(2)阿弥陀堂
長安寺の名残、ひっそりと
長安寺は、現在の手取天満宮の一角に阿弥陀堂として残っています。黒い板碑には阿弥陀立像が彫られており、国に一大事が起きると汗をかいた阿弥陀様が浮かび上がるとか。このため“汗かき地蔵”と呼ばれています。
(3)桜井通り
通りの中ほどにある「櫻の井戸」が由来
(4)櫻の井戸
清正が造った井戸、今も
加藤清正が有事に備えて城下の要所に造った井戸の一つ。この辺りの井戸水は茶の湯に最適とされ、城中でも重宝されました。
(5)石垣
江戸時代の石垣が今も残ります
(6)黒鍬町
参勤交代の際、行列が通りやすいように先頭で土地をならす役を担った黒鍬衆の居住区。細川藩では早くからこの一団が存在し、江戸城でも同様の集団(黒鍬組)が作られ、隠密の役割を担いました。
(7)オークス通り
グラウンドにあった大橋
県立高等女学校(現・第一高校)の跡地で、グラウンドにあった大楠の並木がそのまま残っています。
(8)藪の内通り
かつてこの一帯に向蓮寺という寺があり、その広い境内にあった大やぶにちなみます。昭和初期、坪井川はこの辺りを流れていたそう。
(9)坊主丁
お城で雑用をこなすお掃除坊主の屋敷があったことによります。僧ではなく、武士が剃髪(ていはつ)していたため坊主と呼ばれました。
(3)小坊主丁
民家の庭のように見えますが通り抜け可能!
(11)上林町
並木坂から信愛女学院辺り一帯。上級武士・上林茂左衛門の屋敷があったことに由来。
上通の思い出
人口が増える並木坂 買い物しやすい街づくりを
私の曽祖父が武家屋敷一軒分の1/3の土地を購入し、明治10年に並木坂に古書店を開業しました。私の父が子どもの頃は、今の薮の内通り辺りを流れていた坪井川で、親は洗濯をし、子どもたちは川遊びをしたそうです。昭和の後半には街づくりが進み、平成になると歩道の屋根を撤去。電柱を地中化し、石畳を敷き、おしゃれな「並木坂」が完成しました。近年は付近にマンションも増えました。住民に地元で買い物してもらえるような街づくりを目指します。
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