【422号】実は熊本生まれです!? 発祥の地を巡る

今ではおなじみのモノでも、ルーツをたどってみると意外な発見があるもの。熊本ルーツといえば、馬刺しに、いきなり団子、ふりかけ…とご当地グルメが真っ先に浮かびますが、探してみれば"食"以外のものもたくさん。熊本生まれのアレコレの"発祥の地"を訪ねてみました。

県外の人にも自慢できる! 〇〇の発祥の地に行く

熊本から広がったアレコレの発祥の地を巡ると、誕生時に携わった人、裏話、誇らしげに立つ記念碑など、発祥の地らしいエピソードに出合えます。

#01 トライアスロン

天草市「本渡海水浴場」
先駆者の助言で天草へ 強豪選手も参加した歴史ある大会

「天草宝島国際トライアスロン大会事務局」調べ(写真資料も)

海を背に立つ三角形のモニュメントは、昭和60年、後にオリンピック公式競技となる全長51.5kmのトライアスロン大会が日本で初めて開かれた記念碑です。

当初は沖縄での予定でしたがキャンセルに。「天草を競技団体に薦めてくれたのは、日本人で初めてハワイのトライアスロン競技に出場した永谷誠一さん。山都町在住で競技の先駆者。天草で練習されていたんです」と今年の大会実行副委員長・濱﨑二丸さん。国内外の強豪選手が参加し、国際トライアスロン連盟日本支部長の長嶋茂雄氏も応援に駆け付け、盛り上がりました。平成26年の第30回大会まで続きますが、翌年に休止が決定。しかし、有志による実行委員会が結成され、同28年に再スタートしました。海沿いのロケーションが魅力の天草トライアスロンの歴史は、まだまだ続きます。

モノクロ写真は、第1回トライアスロン大会の様子

モノクロ写真は、第1回トライアスロン大会の様子。雨が降る中、沿道には4万人がレースを見守りました

天草国際トライアスロン大会記念碑

「表彰台仕様の記念碑に 上がれば、気分はメダリスト!」

「天草国際トライアスロン大会記念碑」は、オリンピック競技に決定した平成12(2000)年に完成

INFORMATION

<第33回>天草宝島 国際トライアスロン大会

6月10日(日)7時30分~
スタート/本渡海水浴場
フィニッシュ/大矢崎緑地公園

再スタートした大会で使用されたメダル


#02 ノリの養殖

八代市「鏡町漁業協同組合」など
英国人学者と熊本の研究者2人が生み出した養殖技術

「熊本県水産研究センター」調べ(写真資料も)

奈良時代の風土記に登場し、江戸時代には養殖も盛んに行われたノリ。おにぎりやすしなど、日本食に欠かせない食材です。ただ、江戸時代のノリ養殖は河口付近に支柱を立て、自然に生えるノリを収穫するという方法でした。そのため生産量も不安定。運が良ければ採れるため、長い間「運草(うんぐさ)」と呼び、縁起物・高級食材として扱われてきました。

人工採苗によるノリ養殖が 始められた頃の様子

人工採苗によるノリ養殖が 始められた頃の様子

長い間、ノリの生態も不明な点が多く、水温が上がる夏をどのように過ごすのかが最大の謎でした。それを解明したのが、イギリスの海藻学者ドリュー女史です。昭和24年、ノリの糸状体をカキの貝殻の中で発見。親交のあった九州大学の瀬川宗吉教授に手紙で知らせ、熊本県水産試験場の研究員・太田扶桑男(ふさお)氏が人工採苗の研究を進めました。

ノリの胞子(種)は糸状体になり、夏に貝殻の中に潜り込んで成長。秋には貝から飛び出し海中を浮遊するというドリュー女史の学説をもとに、ノリの胞子を植え付けたカキの貝殻をノリ網に取り付ける養殖方法を確立しました。

これは技術革新として評価されましたが、太田氏は「ドリュー博士の発見があればこそ」と特許権は取らなかったとか。その技術は全国の産地に広まり、現在もカキの貝殻を使ったノリ養殖が続けられています。

鏡町漁業協同組合内にある「海苔(ノリ)人工採苗発祥之地」の石碑。昭和24年に開設された鏡分場ではクマモト・オイスターの種ガキも作られていました

当時、鏡町にあった熊本県水産試験場鏡分場のノリ培養室。

当時、鏡町にあった熊本県水産試験場鏡分場のノリ培養室。

人工採苗によるノリ養殖成功の瞬間

人工採苗によるノリ養殖成功の瞬間

ドリュー女史顕彰碑

全国のノリ養殖業者が資金を集め、昭和38年、宇土市の住吉自然公園内に建てられた「ドリュー女史顕彰碑」

ドリュー女史

ノリ漁民の生活を変えたドリュー女史。毎年4月14日は顕彰式典が行われています


#03 スクランブル交差点

中央区子飼
縦横斜め、自由に横断 ヨーロッパの道路がヒントに

「熊本県警察本部」調べ

車の流れをすべて止め、歩行者が斜め向かい側に渡ることができるスクランブル交差点。日本初のスクランブル交差点が生まれたのは、昭和44年、中央区の子飼交差点でした。

当時の子飼交差点は、T字型交差点に熊本市電黒髪線の終点が重なる大渋滞スポット。商店街の買い物客や学生など歩行者も多く、人身事故の心配もありました。

そこで昭和43年、熊本県警本部の事故分析官がヨーロッパを視察。黄色の実線で囲んだ、車両進入禁止区画を設けた道路をヒントに導入されました。

設置後は渋滞解消の効果があり、全国からの視察も多かったそうです。現在は、熊本市に21カ所のスクランブル交差点があります。

スクランブル交差点設置直後、昭和45年の子飼交差点

スクランブル交差点設置直後、昭和45年の子飼交差点。当初はゼブラはなく、この年にラインが引かれたとか。

道路拡張工事中の現在の子飼交差点

道路拡張工事中の現在の子飼交差点。工事終了後もスクランブル交差点は継続するそうです


#04 イ草栽培

八代市千丁町「岩崎神社」
畳の神様が伝授した約500年の歴史を刻むイ草栽培

「八代市農林水産部」調べ

日本各地の湿地に自生していたというイ草。イ草栽培の発祥の地には諸説ありますが、その一つとして伝えられるのが八代市千丁町太牟田です。

室町時代、上土(あげつち)城主の岩崎主馬守忠久公が、村の生活が豊かになるようにイ草の栽培を村人たちに教えました。この辺りは台風の被害も多く米などの作物が育ちにくい地域でした。しかし、イ草栽培が盛んになったこの村では、全国的な飢饉(ききん)時でも、暮らしに困ることがなかったそうです。

岩崎神社

岩崎主馬守忠久公を祭る「岩崎神社」。春と秋には豊年を願うお祭りも開催されます

その後も、イ草栽培は続けられ、現在では全国の作付面積の9割以上を占めるように。岩崎公は畳の神様として祭られ、千丁町の民話の主人公として地域の子どもたちに伝えられています。

イ草畑に囲まれる岩崎神社のい草グリーンに塗られた鳥居

イ草畑に囲まれる岩崎神社のい草グリーンに塗られた鳥居

敷物だけでなく、イ草パウダーを練り込んだ「食べられるお箸」も登場

敷物だけでなく、イ草パウダーを練り込んだ「食べられるお箸」も登場


#05 絆創膏(ばんそうこう)

北区植木町
西南戦争までさかのぼる 熊本生まれの絆創膏

「リバテープ製薬」調べ

切り傷やすり傷の手当てに活躍する救急絆創膏。熊本では「リバテープ」の呼び名でおなじみですが、この「リバテープ」が国内メーカー初開発の救急絆創膏なのです。

「リバテープ」が生まれたのは昭和35年。『リバテープ製薬』の3代目・星子義法氏が、太平洋戦争で薬剤武官として出征し、アメリカ軍の捕虜となった時に見た簡易型包帯が絆創膏だったとか。復員後、植木町の本社で研究を重ね、消毒薬のリバノールを付けたテープを開発しました。

ちなみに、同社が生まれるきっかけとなったのが明治10年の西南戦争。「創業者の星子亀次郎が激戦地の田原坂近くで負傷兵の介護に当たり、薩摩軍の軍医から秘伝の膏薬を伝授されました。それをもとに製品化したのが『ほねつぎ膏』です」と同社の橋爪淳さん。「ほねつぎ膏」は軟膏を付けた和紙を皮膚に貼る万能薬。肌を保護しながら傷や痛みを癒やすのは「リバテープ」に通じるものがあります。

オレンジ色のパッケージがかわいい「ほねつぎ膏」。昭和40年ごろまで販売されていました

効能に書かれた「ろいまちす(リウマチ)」がレトロ

初代「リバテープ」のパッケージ

初代「リバテープ」のパッケージ

星子亀次郎

星子亀次郎は、地元の山東小学校の設立に尽力。校舎裏には地域の人たちが建てた銅像があります


まだまだあるよ おいしいモノ編 熊本発!

デコポン=宇城市不知火町

平成3年に初出荷

昭和47年に長崎県の口之津試験場で清見×ポンカンが交配され、不知火町で栽培がスタート。平成3年に初出荷され、抜群の甘さとユニークな形で人気に。『道の駅不知火』には「デコポン発祥の地」の記念碑があります。(JA熊本果実連・JA熊本うき調べ)

塩トマト=八代市

フルーツトマトの元祖!?

トマトの産地・八代市では、塩分を含んだ干拓地で育てるため、玉太りが悪いのが難点でした。しかし、うま味が凝縮された味わいが注目されるようになり、フルーツトマトの元祖といわれています。(JAやつしろ調べ)

車エビの養殖=上天草市維和島

海水地で育てる"蓄養"から

維和島で車エビの養殖が始まったのは明治38年。当初は天然のエビを捕って海水池で育てる“蓄養”でした。ちなみに人工採卵によるエビの養殖は昭和38年に山口市で確立。どちらも発祥の地として特産品になっています。(熊本県水産研究センター調べ)

米焼酎=人吉・球磨

室町時代に始まった文化

室町以前には存在していた人吉・球磨の焼酎造り。米を焼酎にするのはぜいたくなことでしたが、人吉盆地は米どころ。石高を超える隠し田があったため、米焼酎の文化が育まれたといわれています。(球磨焼酎酒造組合調べ)