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学校給食の思い出“あるある”番外編

紙面に掲載した投稿以外にもたくさんの“あるある”エピソードをお寄せいただきました。その一部をご紹介します。

目次

冷凍ミカンを丸ごとガブリ!

給食にあまり良い思い出はありません。唯一楽しかったのは、冷凍ミカンの皮をむいて丸ごと一口で食べていたことですかね。(熊本市/ケンボウ・56歳)

もらったデザートの数で、クラスの人気度が分かる!?

デザートが2個あるとき、女の子限定で「1個ちょーだい作戦」をやっていました。もらった数でクラスの人気度が分かっていました(笑)。(熊本市/ミッキー8940・51歳)

先生がパン焼き職人に変身♪

小学校の時、教室に大きなストーブがあり、冬になると先生にパンをストーブで焼いてもらうのが、とても楽しみでした。コッペパンが冷たいとモサモサするのですが、ちょっと焼くだけで、ふわふわに。焦げている部分もカリカリしておいしかった思い出があります。(熊本市/ルル・40歳)

「ミルメークって何?」にジェネレーションギャップ!

牛乳が苦手な私は「ミルメーク」が大好きでした。そのまま入れるとあふれるので、一口飲んでから入れるのがコツなんです。世代が違う人に「ミルメーク? 知らない」って言われたとき、ジェネレーションギャップを感じました。(熊本市/おちゃる・57歳)

ランチルームで一斉に「いただきます!」

私の通っていた小学校には、当時ランチルームがありました。160人程度の全校生徒と先生たちで一斉に「いただきます!」と言っていたのは、とても懐かしい思い出です。(熊本市/花・41歳)

ぜいたくだったクジラのおかず

昔、クジラが給食に出ていた記憶があります。あまりおいしかったイメージはありませんが、この時代はぜいたくだったのですね。(東京都/尊の君・44歳)

牛乳キャップを目にはめ、変顔自由自在!

小学校の頃は、瓶牛乳でした。牛乳のふたを上手に外せたとき、乾かしてから、ふたの裏(白い方)にいろいろと面白い目を書いて、目にはめて遊んでいました。懐かしい。(熊本市/・まる・41歳)

好きだった男の子のおかずを大盛りに

給食当番の時、好きだった男の子のおかずを大盛りにして、皆にばれました…。(熊本市/おはな・45歳)

納豆パックは“一寸法師推し”

納豆パックのふたに一寸法師や金太郎、かぐや姫などの昔話の絵が付いていて、友達と選ぶのが楽しみでした! 私は“一寸法師推し”でした。(熊本市/きなこ・37歳)

先生がムースを持ってお見舞い

熱が出て数日間休んだ時、先生が、給食のデザートのムースなどを持って様子を見に来てくれたのが、忘れられないエピソードです。(熊本市/もとのすけ・42歳)

“おかずハンター”に狙われた!?

ものすごくたくさん食べる男の子が、残しがちな女の子の席を回って「もうおなかいっぱい? 食べれんど? 食べてあげよっか?」と言っていた。コロナ禍の今の時代じゃ考えられないなぁ(笑)。(熊本市/マメごはん・35歳)

先生が残ったご飯をおにぎりに

クラスごとに残菜が少しでも減るように競っていて、ご飯が残った時は、先生がお塩を持ってきてラップで小さなおにぎりを作ってくれました。おにぎりになったご飯はなぜか食べやすく、お代わりをして食べていたのを思い出します。(熊本市/タヌキのおなか・21歳)

スープの温もりで、マーシャルビーンズを軟らかく

食パンに付けるマーシャルビーンズは、冬になると硬くてパンに塗りにくかったので、温かいスープのおわんの下に入れ、軟らかくしてから塗っていました。たまに温め過ぎて液状になってしまうことも。(熊本市/えみちゃん・36歳)

クリスマス限定! 「セレクトケーキ」

「セレクト給食」というのがあり、クリスマスが近づくと3種類から好きなケーキが選べたんですが、選ぶ日の気分と当日食べる時の気分が違って、友達とケーキを交換した記憶があります。(熊本市/イズミミー・29歳)

人気メニューのお代わりは、ジャンケン争奪戦!

4時間目が終わると給食なので、みんな動きが早くなってワクワク! 給食の時間が一番好きでした。人気メニューの時のお代わりは、ジャンケン争奪戦でした(笑)。(熊本市/かっちょ☆・28歳)

苦手なおかずをこっそりティッシュに…

小学生の頃、魚が苦手でした。そこで、魚を口に入れ、鼻をかむふりをしてティッシュにこっそり吐き出していました(笑)。今は何でも食べることができるので、もったいないことをしたなと思いますが、当時はどうしても食べることができず、必死だったことを思い出しました。(熊本市/ganco・32歳)

給食のおかげで、冷たいお弁当とサヨナラ!

私が中学生の頃はまだお弁当持参で、冬は「お弁当温め箱」がありました。(確か練炭のようなものが入れてあった)。登校時間が遅いと、お弁当が温まりにくい「上の段」にしか置けず、冷たいままのご飯を食べないといけませんでした。3年生になると学校給食が始まり、大変うれしかったのを覚えています。懐かしい思い出です♪(宇土市/かつそうし・56歳)

私は好きだった脱脂粉乳

昭和40年代前半の給食では、牛乳ではなく温かい脱脂粉乳が出ていました。みんな嫌がっていましたが私は好きで、お代わりしたものです。(熊本市/キナコ・64歳)

休んだクラスメートの家へパンをお届け

小学3、4年生の時、休んだクラスメートのコッペパンをわら半紙に包んで、家まで届けていました。あれはお見舞いも兼ねていたんですね。先生の優しさを感じました。(熊本市/ビーナス・69歳)

給食で苦手な食べ物を克服!

小学4年生までは、風邪をひくなど病気で学校を休みがちでした。しかし、5年生の担任の先生から「給食を残した人は昼休みなし!」と言われ、昼休みに遊びたかった私は、嫌いなものも全部食べるようになりました。それから高校3年生まで、無欠席。そして今も健康的な生活を送っています。これはひとえに給食のおかげだと思っています。(熊本市/真理夢・63歳)

記事内の情報は掲載当時のものです。記事の公開後に予告なく変更されることがあります。

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この記事を書いた人

熊本市を中心に31万部戸別配布のフリーペーパー「くまにち すぱいす」がお届けする、熊本の暮らしに役立つ生活情報サイトです。

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