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“デフサッカー”で、あこがれの日本代表に 東京デフリンピックで金メダル目指す!【すてきびと】

湯野 琉世さん
湯野 琉世さん

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デフサッカー選手 湯野 琉世さん

湯野 琉世さん 1999年、八代市生まれ。小学1年から兄の影響でサッカーを始め、高校時代は副キャプテンも務める。卒業後、就職して社会人チームでサッカーをしていた時、デフサッカーを知り、2018年から転向。23年のW杯に日本代表として出場し、中心選手として準優勝に貢献。ポジションはボランチ。
湯野 琉世さん
1999年、八代市生まれ。小学1年から兄の影響でサッカーを始め、高校時代は副キャプテンも務める。卒業後、就職して社会人チームでサッカーをしていた時、デフサッカーを知り、2018年から転向。23年のW杯に日本代表として出場し、中心選手として準優勝に貢献。ポジションはボランチ。

聴覚に障がいのある人たちのサッカー「デフサッカー」。プレー中は補聴器を外すのがルールで、選手間のコミュニケーションは手話やアイコンタクトで行うため、「音のないサッカー」と呼ばれます。昨年、マレーシアで行われたW杯で、日本代表は見事、準優勝。湯野さんは、ボランチという要のポジションでチームをけん引しました。

2歳の時に聴覚に障がいがあることが分かりましたが、補聴器を付ければ会話は可能で、小学校から高校までは11人制でプレー。北九州市で就職してからも社会人チームに所属。その後デフサッカーを知り転向。はじめは「言葉を使ったコミュニケーションが図れないことに戸惑いを感じた」と言うものの、すぐに頭角を現し、2019年から代表に呼ばれるようになりました。

目標は、2025年に東京で開催されるデフリンピックでの金メダル獲得。そのために今月から1年半、サッカー強豪国ドイツに。「ろう者には手話という共通言語があるので、言葉の心配もありません。デフサッカー界に自分の名前を刻んで、必ず金メダルに貢献したい」と、静かに闘志を燃やしています。

マレーシアで行われたデフサッカーW杯の際のメダルや、相手チームと交換したペナント
マレーシアで行われたデフサッカーW杯の際のメダルや、相手チームと交換したペナント

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障がいのある子たちのあこがれの選手になりたいと思っています。

記事内の情報は掲載当時のものです。記事の公開後に予告なく変更されることがあります。

湯野 琉世さん

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