【道路マニアの僕が国道57号への愛を叫ぶ⑦ 【熊大生のイマドキヒマドキ?番外編】
道路が好きなKumarismのメンバー・Fuyaが、国道57号についてマニアックな視点で語ります! 道路に関心がある方も、そうでない方も、どうぞお付き合いください!
Fuya
大分出身、熊本が大好きすぎる文学部1年男子。この前、島原市に行って、初めて長崎側の国道57号を通った!
阿蘇の復興を目指して
※今回の記事には、熊本地震での被害に関する記述があります。
今回は、道の駅大津から、阿蘇市赤水の区間を紹介します。この区間は、2016年の熊本地震で甚大な被害を受けた後に、懸命な工事によって再び通行可能になった区間です。
いつもの記事とは少し趣向を変え、復旧までの道のり、特に、なぜ早期開通が実現したかというところに焦点を当ててお伝えしたいと思います。
今回も、道路を管轄する国土交通省熊本河川国道事務所に取材しました。
前回の記事はコチラ【道路マニアの僕が国道57号への愛を叫ぶ⑥ 【熊大生のイマドキヒマドキ?番外編】
平野のバイパス道路から一気に山道へ
ここまで平野の中を走ってきた国道57号ですが、道の駅大津を過ぎると、風景が一気に変化します。
沿道の建物の数は少なくなり、登り坂へと差し掛かります。いよいよ阿蘇へと入っていくのです。
山道とはいっても、途中の新阿蘇大橋までは片側2車線の広い道が続いています。
南阿蘇村の立野という地域に入ると、沿道には水力発電のパイプが見えます。
高低差が必要な水力発電は、主にこのような山間部に設けられます。標高がかなり高くなってきたことを感じます。
さらに、熊本方面を望むと…市街地からずいぶん遠くに来たことが分かります!
熊本地震の衝撃
この辺りは、2016年の熊本地震で大きな被害を受けた地域です。
地震で57号は寸断され、しばらくの間不通の状態が続きました。熊本~阿蘇の大動脈が絶たれたのです。
最も衝撃的だったのは、やはり、「数鹿流(すがる)崩れ」と呼ばれる大規模な斜面崩壊でしょう。
57号も、隣を走るJR豊肥本線の線路とともに完全に土砂に埋もれてしまいました。
また、この斜面崩壊では、57号とつながる阿蘇大橋が崩落し、付近を通行していた大学生が犠牲になりました。
当時の僕は中学1年生。大分も強い揺れに見舞われましたが、通ったことのある場所で大惨事が起こったと聞いたときはとてもショックでした。
当時は、元の道を復旧するのは困難と考えられ、国土交通省は、トンネルによる代替ルートの建設を決めました。これが「北側復旧ルート」です。
改めて、北側復旧ルートとは
北側復旧ルートとは、もともとある国道57号(現道部)の北側を走るバイパス道路で、阿蘇西ICから大津ICまで自動車専用道路に指定されています。高速道路と同じような高規格なので、80km/hまで出すことができます。
途中には、全長が3.8kmある二重峠トンネルが存在します。
熊本側から阿蘇側に向けて走ると、トンネルを出た瞬間、一気にのどかな阿蘇の風景が目の前に広がります。
まるで熊本から阿蘇にワープしてきた気分になれます。
どんな景色が見られるかは、ぜひ通って確かめてほしいです!
開通早過ぎ!
北側復旧ルートの建設が決定したのが、地震からわずか2カ月後、そして開通は地震から4年後でした。
数々の道路を調べてきた道路マニアの僕からいうと、およそ4年での開通は、あまりにも早過ぎます。
およそ4kmのトンネルもあるのに、ここまで早く道路が開通することは、通常ありえないことです。
普通、建設の決定から開通までは、最低でも10年くらいはかかります。
ではなぜ、北側復旧ルートはこんなに早く開通できたのでしょうか?
すでにデータがそろっていた!?
実は、現在、北側復旧ルートが通っている場所とほぼ同じ場所に、バイパス道路を建設する計画が地震の前からありました。
それが、「中九州横断道路」という、熊本・大分間を結ぶ予定の高規格道路です(中九州道については別の回で詳しく取り上げます!)。
大津と阿蘇の間の区間は、2000年に事業が始まったものの、現道部の拡幅を優先させるために、事業が一旦ストップしていました。
この中九州道を建設するにあたって、このエリアの地質調査がすでに行われていたため、トンネルの構造などを早期に決めることができたのです。
また、普通より工期を短縮するために工程を工夫したり、24時間体制での工事が進められたりした結果、工事開始からわずかな期間で、トンネルは貫通しました。
さらに、困難とされていた現道部の復旧も可能であることが分かり、2020年10月、北側復旧ルートと現道部が同時に開通したのです。
こうして、熊本地域と阿蘇地域つなぐ大動脈が、強固なダブルネットワークになって復旧しました。
次回は、阿蘇の中を進んだ後、熊本・大分間の最大の難所、滝室坂に挑みます!!