言葉の中に「偏見」はありませんか【村上美香のヒトコトつれづれ】
夏休みの宿題はすぐやる派ですか? ギリギリまで粘る派ですか? 私は後者。しかも、苦手な算数の宿題は半分以上、祖母の担当(!)というズルい子でした。それでも母に「勉強しなさい」と言われたことは一度もありません。
代わりに言われていたのは「女の子だから勉強は頑張らなくてもいい、旦那さんにかわいがられる女性になって幸せをつかみなさい」という言葉。大人になるにつれ「あれ?なんかおかしいぞ」という気持ちが芽生えてきましたが(笑)。父は亭主関白タイプで、母は常に父を立てていました。両親の影響は受けていないつもりでも、私にはいつの間にか男らしさ、女らしさという考え方が根付いていたのです。
例えば、私は料理や裁縫が苦手で「女性として恥ずかしい」と心の奥でいつも思っていました。ですから、家庭的な女性を見ると「女らしくていいな」とつい思ってしまいます。「男前な態度」も「サバサバしているのは男性の特徴」という思い込みから出る言葉。
SDGsの目標に「ジェンダー平等を実現しよう」「人や国の不平等をなくそう」がありますが、それを阻むものにアンコンシャス・バイアス(無意識の思い込みや偏見)があります。「女性(男性)だから○○」「外国人は○○」「年配の人は○○」とさまざまです。言葉は生活の潤滑油、全ての言葉の揚げ足を取るわけではありませんが、「自分には思い込みや偏見がある」という前提で自分が発する言葉を確認することは大事だと思います。