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ガンボにプラムプディング…小泉八雲ゆかりの料理をすぱいす流に再現!

すぱいすが考えた 小泉八雲家の食卓

熊本ゆかりの文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とその妻・セツに関する特別展「八雲とセツ 家族の物語」が、熊本博物館で開催中です。同展にちなみ、八雲家の中心にあった食卓を想像してみました。八雲家にまつわるエピソードも紹介します。

好評開催中

熊本博物館 2025冬期特別展 「八雲とセツ 家族の物語」

  • 2025年12月2日(火)~2026年2月15日(日)
  • 〈開館時間〉9時~17時(入場16時30分まで)
  • 〈休館〉月曜(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日

熊本市中央区古京町3-2

TEL:096-324-3500

目次

食とエピソードで想像 八雲の熊本暮らし

「ママさん」「パパさん」と呼び合っていた八雲とセツ。約3年暮らした熊本ではセツの養父母も一緒に暮らし、待望の長男・一雄が誕生しました。今回は友人との書簡や、セツや教え子が遺した著書から、熊本での暮らしぶりがうかがえるエピソードをピックアップ。「食」を楽しみ、大切にしていた八雲の食事も、すぱいす流に再現しました。

八雲
八雲

[1850年6月27日〜1904年9月26日]

ギリシャ系アイルランド人(英国籍)の八雲は明治23(1890)年4月に来日。翌年11月から英語教師として第五高等中学校(現在の熊本大学)に赴任した。

セツ
セツ

[1868年2月26日〜1932年2月18日]

島根県松江生まれの士族の娘・セツは、八雲のハウスキーパーとして雇われ、後に結婚。日本の怪談や昔話を聞かせ、八雲の執筆に欠かせない存在となる。

記録からうかがう「小泉八雲」の実像

連続テレビ小説「ばけばけ」のモデルになり注目が集まる小泉八雲。旧松江藩の士族の娘・セツと結婚し、明治時代の国際カップルの暮らしぶり、やりとりが気になります。

セツが書いた『思い出の記』、八雲の教え子・田部隆次による伝記『小泉八雲』では多彩なエピソードが披露されています。セツの本には好物や子煩悩ぶりが記され、厳格な文豪のイメージとは異なる「優しいパパさん」の姿が見られます。

八雲は英国人の日本研究家・チェンバレンや、日本人の中で一番の理解者だった松江の教育者・西田千太郎などと頻繁に書簡を交わしていました。熊本博物館学芸員の湯川洋史さんによると、書簡には執筆の報告や職場の愚痴が書かれており、生き生きとした八雲の人物像が浮かび上がってくるといいます。熊本博物館の特別展「八雲とセツ」でも多くの書簡を展示。文豪の素顔を垣間見てみませんか。

エピソードを教えてくれたのは

熊本博物館 学芸員 湯川洋史さん
熊本博物館 学芸員 湯川洋史さん

レシピを考えてくれたのは

フードコーディネーター 三星 舞さん
フードコーディネーター 三星 舞さん

すぱいす流にアレンジ!八雲ゆかりの料理たち

八雲の朝ごはん

八雲の朝ごはん

レモネードにウイスキーを入れるのが八雲流

八雲は朝食メニューを記録に残しており、卵、トースト、スプーン1杯のウイスキーを入れたレモネード、ブラックコーヒーが定番でした。ちなみに、レモネードはアメリカ南部の伝統的な飲み物で、来日前からの習慣だったのかもしれません。八雲からチェンバレンへの手紙によると、八雲は上記の朝食を取って7時30分に出勤。その後、セツたち家族は日本食の朝食を食べていたそうです。

ニューオーリンズのガンボ

ニューオーリンズのガンボ

ご飯を添えて味わう 米国南部のソウルフード

来日前のニューオーリンズ時代、八雲はアメリカ南部の料理をまとめた『クレオール料理読本』を出版しています。クレオール料理は、フランス、スペイン、アフリカなど多彩な食文化が混じり合ったアメリカ南部の郷土料理。代表的なのは料理本の中でも取り上げられる「ガンボ」です。フランス語でガンボとはオクラのことで、オクラの粘り気でとろみを出した具だくさんのスープ。ピリ辛に仕上げたスープはご飯を添えて食べるスタイルで、日本人にもなじみやすい一品です。

イギリスのプラムプディング

イギリスのプラムプディング

学力向上にもイチオシ!? フルーツたっぷりプディング

明治26年1月、松江の西田へ送った手紙で、八雲は「熊本の学生たちの学力が伸びないのは貧相な食事のせいだ」と指摘。栄養価の高い食べ物として牛肉、卵、そして“プディング”を挙げています。プディングは八雲の故郷であるイギリス・アイルランドの家庭料理で、クリスマスや新年に欠かせないデザート。ドライフルーツやスパイスをたっぷり加えた生地を蒸し上げて仕上げます。セツも「八雲の大好物はビフテキとプラムプディング、そして煙草」と何度も書いています。

明治の文豪の素顔が見える!? 生活にまつわるエピソード6選

「日本好き」八雲の複雑な食事事情

太って満足そうな八雲のイラスト

セツの著書『思い出の記』には、松江時代の八雲は衣食住の全てを日本風にこだわり、たくあんなどを食べていたとあります。しかし、日本食だけでは体力を維持できなくなり、熊本転居を機に洋食メインの食事にチェンジ。日本食は1日1食になりました。その結果、2、3カ月のうちに20ポンド(約9kg)も太ったとか。

普段は優しいパパ 執筆中は別世界へ

パンを切り分ける途中でぼんやりしている八雲のイラスト

愛妻家で子煩悩の八雲でしたが、執筆中は家族を置いてきぼりにすることも。子どもたちの呼びかけに生返事をしたり、食卓でパンを切り分ける途中で自分だけ食べてしまったり。そのたびに「ごめん、ごめん」と謝りますが、すぐに自分の世界に没入していました。

破格の給料! 小泉一家の大黒柱

「熊本大学五高記念館」(中央区黒髪)収蔵の契約書によれば、英語教師としての八雲の俸給は月200円。当時は中級品の白米10kgが約0.66円で買えたということからも、この金額が破格であることがうかがえます。八雲は同居するセツの養父母、松江に住むセツの実母にも仕送りをし、一家を支えていました。

文化の違いが夫婦のすれ違いに

ある日、仕事で遅く帰宅した八雲を、セツは食事をせずに待っていました。普段は日本の習慣を尊重していた八雲ですが、「なぜ先に食べなかったのか」と驚き、怒り出してしまいました。公私共に良きパートナーだった八雲とセツも、文化の違いによるすれ違いは少なくなかったようです。

熊本でかなえたかった 夢のホームパーティー

八雲が友人たちにふるまいたかった料理のイラスト

洋食の材料が豊富にそろっていた明治の熊本。八雲はいつか外国人の友人を招き、ビーフステーキやポテト、ウイスキーなどを振る舞おうと考えていました。残念ながら実現しませんでしたが、五高の同僚や教え子は自宅に招いていたそうです。

大の煙草(たばこ)好き 日本ではキセルを愛用

キセルを持つ八雲のイラスト

八雲は大変な愛煙家で、来日後は日本のキセルを愛用しました。『思い出の記』には「100本もある」と書かれ、チェンバレンが編さんした日本百科『日本事物誌』では「キセル」のページを担当。「初心者は畳に焦げ穴を作る」と書いていますが、八雲の書斎の畳にも無数の焦げ跡があったそう。自身の実体験だったのかもしれません。

特別展「八雲とセツ 家族の物語」が熊本博物館で開催中

熊本博物館で開催中の特別展「八雲とセツ 家族の物語」では、八雲とセツに関する資料や自筆の書簡、長男・一雄が残した八雲との思い出の品などを展示。プラネタリウムでは、明治24年11月19日、小泉家が来熊して初めて見上げた夜空が再現されます(毎週金曜14時45分〜)。

連続テレビ小説「ばけばけ」展示ゾーンも

特別展では、連続テレビ小説「ばけばけ」展示ゾーンを設置。ドラマをもっと深く楽しめる情報や出演者全身パネルなどで、物語の魅力を伝えます。

熊本博物館

住所熊本市中央区古京町3‐2
開館時間9時~17時(入場16時30分まで)
休館月曜(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
観覧料大人1000円、65歳以上900円、高校・大学生700円、小・中学生500円(プラネタリウム別途)
主催八雲とセツ展実行委員会(熊本博物館/熊本日日新聞社)

記事内の情報は掲載当時のものです。記事の公開後に予告なく変更されることがあります。

すぱいすが考えた 小泉八雲家の食卓

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この記事を書いた人

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