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5年に1度!台湾先住民のお祭りに潜入取材!【台湾ってこんなトコVol.5】

今回の旅の目的は「五年祭」で行われる「刺福球」の儀式を見学することでした=10月21日、台東(NNA撮影)

台湾をはじめ12カ国・地域から現地発のアジア経済ニュースを日本語で配信しているニュースメディア「NNA」。この連載では、NNA台湾の記者が台湾の暮らしや文化、習慣など、現地ならではの情報をお届けします。
(毎月1回更新)

目次

台湾の先住民パイワン族の集落を訪れ5年に1回のお祭り「五年祭」を見学

漢民族が全人口の9割以上を占める台湾。

しかし、漢民族が中国大陸からやってくる前から台湾で生活していた先住民を擁する多民族社会であることは、日本ではあまり知られていないかもしれません。

台湾の先住民は標準語である中国語を話しますが、それぞれが独自の言葉や文化を持っています。

私たちは今年10月、台湾の先住民の一つ、パイワン族の集落「土坂地区」を訪れ、5年に1回開かれるお祭り「五年祭」を見学してきました。連載の第5回は皆さんに集落での体験をお伝えしたいと思います!

台湾先住民「パイワン族」とは

「台湾原住民族委員会」の宋麗茹・経済発展処長に聞きました

土坂地区出身の宋麗茹さん。「原住民族委員会」の経済発展処長を務め、台湾の先住民や土坂地区について教えてくれました=11月23日、新北(NNA撮影)
土坂地区出身の宋麗茹さん。「原住民族委員会」の経済発展処長を務め、台湾の先住民や土坂地区について教えてくれました=11月23日、新北(NNA撮影)

まずはパイワン族について紹介したいと思います。

取材に応じてくれたのは台湾の行政院(内閣)で、先住民行政を所管する「台湾原住民族委員会」の宋麗茹・経済発展処長です。

なんと宋処長は土坂地区で育ったパイワン族ということでした。

宋処長によると、現在、台湾政府が認定する先住民は全てで16民族。人口は計約58万人で、台湾全体の約2,300万人余りのうち約2.5%と少数です。

「先住民の約半分が学業や仕事を理由に都市部に引っ越しますが、大多数の人がいつか集落に戻ります」と宋処長は話します。

宋処長自身も定年退職後は土坂地区に戻って生活することを考えているそうです。

先住民の中で2番目に多いパイワン族

土坂地区は山に囲まれた場所にあります=10月21日、台東(NNA撮影)
土坂地区は山に囲まれた場所にあります=10月21日、台東(NNA撮影)

パイワン族の人口は先住民の中で2番目に多い約10万5,000人(2022年末時点)。台湾にはパイワン族の集落が124カ所あり、全て台東県の南部と屏東県に位置しています。

パイワン族は集落の位置から、北パイワン、中パイワン、東パイワン、南パイワンに細分化され、宋処長によると、地域ごとに言葉の発音のイントネーションや使用する語彙(ごい)などが少し違うものの、コミュニケーションは可能だそうです。

パイワン族の社会は世襲の階級制

パイワン族の社会は世襲の階級制です。階級が高い順に「頭目」「貴族」「祈祷師・祭司」、「士族(勇士)」、「庶民」があります。

これらのうち頭目は集落の指導者です。祈祷師は神や祖先の霊と意思疎通でき、祭りの儀式では重要な執行者となります。普段はパイワン族の健康の面倒を見る役割も担っています。

土坂地区に向けて出発!

台北から電車で5~6時間かけて現地へ

台東駅を出発した列車は太平洋沿いを走ります=10月21日、台東(NNA撮影)
台東駅を出発した列車は太平洋沿いを走ります=10月21日、台東(NNA撮影)

東パイワンに属する土坂地区があるのは台東県達仁郷。

台北から在来線の台湾鉄路(台鉄)に乗って5~6時間かかります。私たちは五年祭の儀式が行われる前日に台東に到着し、翌日の早朝、再び列車に乗って土坂地区を目指しました。

土坂地区に最も近い駅「瀧渓火車站」に着きました=10月21日、台東(NNA撮影)
土坂地区に最も近い駅「瀧渓火車站」に着きました=10月21日、台東(NNA撮影)

土坂地区に最も近い鉄道駅が「瀧渓火車站」です。そこからタクシーに乗って、集落の入り口である土坂公園に到着しました。

土坂地区で最も盛大な祭典「五年祭」

集落の入り口にある土坂公園には、頭目を象徴する石像がありました=10月21日、台東(NNA撮影)
集落の入り口にある土坂公園には、頭目を象徴する石像がありました=10月21日、台東(NNA撮影)

五年祭は祖霊祭とも呼ばれます。パイワン族の言葉では「maljeveq」と呼び、その意味は「人と神が盟約する祭り」だといいます。

パイワン族の祖先の霊が順番に各集落を訪ねると伝えられており、一通り回り終えるのに5年かかるとされることから、五年祭と呼ばれています。

五年祭は土坂地区で最も盛大な祭典であり、前祭、主祭、後祭の三つに分けられます。準備し、神を迎え、神を送るまで、祭典全体の期間は約1カ月に及びます。

ただ、全てのパイワン族の集落が五年祭を行うわけではありません。

日本統治時代には一部の集落で中止され、現在も五年祭の伝統を守り続けている集落はわずかだそうです。土坂地区はこれまで五年祭を中断したことがない唯一の集落といいます。

祭典のハイライト「刺福球(福球に竿を刺す)」の儀式

今回の旅の目的は「五年祭」で行われる「刺福球」の儀式を見学することでした=10月21日、台東(NNA撮影)
今回の旅の目的は「五年祭」で行われる「刺福球」の儀式を見学することでした=10月21日、台東(NNA撮影)

祭典のハイライトは主祭当日に行う「刺福球(福球に竿を刺す)」の儀式です。

祈祷師が歌を歌うなどして、祖先の霊を祭場に呼びます。

午前10時が近づくと、頭目や女性の祈祷師、祭司、勇士が祭場にやってきました=10月21日、台東(NNA撮影)
午前10時が近づくと、頭目や女性の祈祷師、祭司、勇士が祭場にやってきました=10月21日、台東(NNA撮影)
儀式が始まる前には祈祷が行われました。祭場に入れるのは頭目と祈祷師、祭司だけです=10月21日、台東(NNA撮影)
儀式が始まる前には祈祷が行われました。祭場に入れるのは頭目と祈祷師、祭司だけです=10月21日、台東(NNA撮影)
祈祷が終わり、勇士たちが柵の上に上っていきます=10月21日、台東(NNA撮影)
祈祷が終わり、勇士たちが柵の上に上っていきます=10月21日、台東(NNA撮影)

祭場では木を組んでつくった丸い形の柵に座った勇士たちが、長さ約12メートルある竿を手に待ち構えています。

藤で編んだ球を投げようとする祭司=10月21日、台東(NNA撮影)
藤で編んだ球を投げようとする祭司=10月21日、台東(NNA撮影)

祭司が藤で編んだ球(福球)を力いっぱい空に向かって投げると、勇士たちは竿の先端を球に突き刺そうと、一斉に竿を動かします。

勇士たちは集中して竿を球に刺そうとします=10月21日、台東(NNA撮影)
勇士たちは集中して竿を球に刺そうとします=10月21日、台東(NNA撮影)

そして球に竿を見事突き刺した勇士は祖先の霊の祝福を受けられるといいます。

球に竿を刺した勇士はパイワン族の人たちから祝福を受けていました=10月21日、台東(NNA撮影)
球に竿を刺した勇士はパイワン族の人たちから祝福を受けていました=10月21日、台東(NNA撮影)

主祭の当日に刺す球は全てで10球です。

パイワン族の書籍の解説によると、それぞれの球に意味があり、五年祭の創始神の福球は一族の平安などを、五穀雑穀の神の福球は一族の繁栄や、穀物や猟の獲物が豊富であることを祈願したものといいます。

未成年の神霊のための刺福球の儀式

私たちが見学に行った10月21日は「未成年の神霊」を対象にした刺福球の儀式が行われました。

未成年の神霊は集落に先に到着しますが、情緒が不安定であることから、10月25日に行われる主祭を台無しにされることを心配したパイワン族の人たちが未成年の神霊のために刺福球の儀式を行うのです。

この日の流れは主祭とほぼ同じですが、刺したのは5球だけでした。

見学人に祭りの由来やタブーをレクチャー

五年祭の儀式を見学しようと観光客が訪れていました。儀式が始まる前にはパイワン族の男性が解説をしてくれました=10月21日、台東(NNA撮影)
五年祭の儀式を見学しようと観光客が訪れていました。儀式が始まる前にはパイワン族の男性が解説をしてくれました=10月21日、台東(NNA撮影)

儀式が始まる前にはパイワン族の男性が見学に訪れた人たちに祭りの由来を教えてくれました。
 
タブーについても説明があり、祭場に入ったり、福球に触ったりしてはならないこと、くしゃみやあくびをしてはならないことなどです。

パイワン族の人たちは祭りの儀式の準備期間中、白米を食べてはならず、アワやサツマイモなど集落の伝統的な雑穀しか食べることができないそうです。

日本人女性との出会いも

儀式が終わった後に集落を歩いていると、一つの出会いがありました。民族学に興味があり、観光で訪れていた日本人女性のYUKIさんと知り合いました。二人で集落を散策していると、洋風建築の家が目に留まりました。

敷地の入口にある石は日本語で「モリヤ舎」と書いてあります。

興味を持って見ていると、その家の主人が家に入っておしゃべりしようと誘ってくれました。話を聞くと、この主人の祖父は日本の警察官で、土坂の先住民と恋愛し、結婚し、子どもが生まれ、ここに土坂で最初の洋風建築の家を建てたそうです。

そして後日、宋処長を取材して分かったのですが、この家は宋処長の実家だったのです。この主人は宋処長のお父さんでした。

今回の旅では先住民の文化に触れて見聞を広めただけでなく、多くの縁に恵まれました。


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記事内の情報は掲載当時のものです。記事の公開後に予告なく変更されることがあります。

今回の旅の目的は「五年祭」で行われる「刺福球」の儀式を見学することでした=10月21日、台東(NNA撮影)

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この記事を書いた人

NNA台湾編集部に勤める30代の台湾人女性。大学時代に交換留学生として日本に約1年間滞在して以来、日本が恋しく年に2回のペースで各地を訪ねています。旅やアート作品などを通じて、自身の感性が磨かれるものごとを見つけるのが好き。

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