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ひご野菜「水前寺もやし」唯一の生産者 良い品を提供するため大豆栽培にも挑戦【すてきびと】

中川 敏行さん 1953年、益城町生まれ。熊本商業高校卒業後、地元の住宅設備会社に就職。定年後、家業である農業を営む傍ら、叔母の水前寺もやし栽培を手伝う。2016年、高齢の叔母からもやし栽培を引き継ぐ。南区で妻と2人暮らし。
中川 敏行さん

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「子ども大学くまもと」理事長 宮津 航一さん

中川 敏行さん 1953年、益城町生まれ。熊本商業高校卒業後、地元の住宅設備会社に就職。定年後、家業である農業を営む傍ら、叔母の水前寺もやし栽培を手伝う。2016年、高齢の叔母からもやし栽培を引き継ぐ。南区で妻と2人暮らし。
中川 敏行さん
1953年、益城町生まれ。熊本商業高校卒業後、地元の住宅設備会社に就職。定年後、家業である農業を営む傍ら、叔母の水前寺もやし栽培を手伝う。2016年、高齢の叔母からもやし栽培を引き継ぐ。南区で妻と2人暮らし。

一般的なモヤシよりも長いことから、長寿を願う縁起物として雑煮に使われる伝統のひご野菜「水前寺もやし」。中川さんは現在、唯一の生産者として昨年末も約3500束を収穫しました。

40年ほど前は、中央区出水地区の農家約20軒が総出で作業するほど盛んだったそうですが、農業離れや高齢化、需要減もあり生産者が激減。長年、生産を続けていた叔母から引き継いだのは「『水前寺もやしがないと正月が来ない』との声に応え、熊本の伝統野菜を残したい」との思いからでした。毎年12月、妻の敬子さんと上江津湖芭蕉園で、長さが30㎝以上になるよう2週間かけて栽培。水前寺もやしを長く真っすぐ、美しく育てるのは難しいのですが、「他に生産者がいないため相談できない」と苦労も明かします。それでも「唯一の生産者だからこそ良いものを作りたい」との思いは強く、昨年は種となる大豆作りにも挑戦。試行錯誤を重ね栽培を続けます。

授業の一環で叔母の代から作業を手伝う地元小学生や熊本農高生との交流も継続。「この子たちの中からでも後継者が育ってくれたらうれしいですね」

Time Schedule

  • 5:00 起床
  • 6:30 朝食
  • 7:00 芭蕉園に到着 昼食を挟み作業
  • 16:00 終了
  • 17:00 帰宅
  • 18:00 夕食
  • 22:00 就寝

Information

「店頭で水前寺もやしを見かけたらぜひ食べてみてください!」

記事内の情報は掲載当時のものです。記事の公開後に予告なく変更されることがあります。

中川 敏行さん 1953年、益城町生まれ。熊本商業高校卒業後、地元の住宅設備会社に就職。定年後、家業である農業を営む傍ら、叔母の水前寺もやし栽培を手伝う。2016年、高齢の叔母からもやし栽培を引き継ぐ。南区で妻と2人暮らし。

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この記事を書いた人

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