「日本遺産」をさくっとドライブ 石が造った八代の豊かさ
令和2年6月、めがね橋や干拓樋門など八代市内に点在する文化財で紡いだストーリーが「八代を創造した石工たちの軌跡 ~石工の郷に息づく石造りのレガシー~」として日本遺産に認定されました。 春の気配が漂い始めた八代を巡り、石工たちの知恵や技術を身近に感じてみませんか。
提供/八代市日本遺産活用協議会
日本遺産 文化財めぐり
日本遺産に認定された全24の文化財の中から、特徴的なスポットを巡る2コースを紹介。八代の発展を支えた石造り文化に触れられますよ。
※文化財によっては駐車場がない場合もあるので注意。
地元の人の迷惑にならないように見学しましょう。
「日本遺産」DRIVE MAP
石造り文化財を巡るドライブへ
めがね橋 探索コース
風雪に耐え、建造から100年以上たった今も堅固な姿をとどめるめがね橋。多様な3基を巡れば、大きさや石の組み方などそれぞれの個性が見えてきます。
【鑑内橋】KANNAIBASHI
所在地 八代市鏡町鏡
鏡川に架かる長さ7.2mのめがね橋。文政13(1830)年ごろの建造と伝わります。地元の凝灰岩を用いためがね橋が多い八代地域では珍しく、天草産の砂岩を使用。江戸時代、一帯は八代と松橋を結ぶ交通の要衝であり、石材は船で運搬したと考えられています。
砂岩の精密な石組み
砂岩は、凝灰岩と比べて強度は劣るものの、軟らかく加工しやすいのが特徴。そのため隙間なく精密に石が組まれたアーチ部分に注目です。
【笠松橋】KASAMATSUMASHI
所在地 八代市東陽町河俣
長さ23m、八代市内で最大級のめがね橋。江戸時代の築造と考えられます。かつて河俣川の洪水でめがね橋の壁石が流出した際、地元の住民らが修復したとも。周辺には石積みの畑や塀が見られ、東陽町では一般の住民も石積みの技術が高かったことがうかがえます。
石に刻まれたノミの跡
輪石(アーチ石)の裏面には、石工が刻んだ無数のノミの跡が残ります。昨年の清掃時に発見されたそうです。
【赤松第一号眼鏡橋】AKAMATSU DAIICHIGO MEGANEBASHI
所在地 八代市二見赤松町
国道3号沿いの赤松バス停から脇道を約200m。集落を流れる二見川に架かるめがね橋で、江戸時代末期の建造と想定されます。熊本豪雨時は、近くの電柱が倒壊した影響で欄干の一部が崩れたものの、橋本体は無事でした。石工の技術力の高さが裏付けられたといえるでしょう。
遊び心がのぞく欄干の装飾
八代地域のめがね橋には珍しく、装飾性豊か。欄干の手すりを支える柱に、やかんと湯飲み(右)、扇面(左)、ひょうたんなどの彫刻が施されていて、架橋当時の人々の遊び心がうかがえます。
石造り文化 探求コース
石工たちが築いた建造物はめがね橋だけではありません。干拓樋門や石垣などを巡り、八代の発展に貢献した石工たちの足跡をたどってみましょう。
【大鞘樋門群】OZAYAHIMONGUN
所在地 八代市鏡町両出
文政2(1819)年、「四百町新地」干拓の際に大鞘川に建造。樋門とは、海水の逆流を防ぎ干拓地にたまった水を排出する施設。当時築かれた5基のうち、「殻樋(からひ)(写真)」「二番樋」「江中樋(こうちゅうひ)」の3基が現存しています。今春、「八代海干拓遺跡」として国史跡に指定される見通しです。
巨石で強固な造りに
潮や川の流れに耐えるため、「殻樋」は、堤防と樋門上部の石垣をコの字形に組んだ造りに。海側の石垣には、普段城郭以外に使われることのない巨石が用いられています。
【八代城跡】YATSUSHIROJOATO
所在地 八代市松江城町
元和8(1622)年、熊本藩の城代家老・加藤正方が築城。現存する石垣には白っぽい石灰岩が用いられていることから別名“白鷺城”とも呼ばれます。石垣のほとんどが、自然石や荒削りの石を積み上げた“野面(のづら)積み”という積み方です。国指定史跡。
隅角(ぐうかく)部は“算木積み”に
最も重要な隅角部には、加工精度の高い巨石を使用。細長い石の長辺と短辺を互い違いに組み合わせる“算木積み”の技法が用いられています。
【水島】MIZUSHIMA
所在地 八代市植柳下町
球磨川河口に浮かぶ周囲約200mの小島。干潮時は陸続きになります。『日本書紀』には、景行天皇がこの地を巡幸した際、島で湧き出した水が献上されたという記述が。また『万葉集』には、長田王がこの島について詠んだ二首が記されています。国指定名勝。
くさびの矢穴が残る
良質な石灰石を産出し、八代城跡の石垣にも使用されました。島にはかつて石工が石を切り出した際にくさびを打ち込んだ矢穴が残ります。
提供/八代市日本遺産活用協議会
現在の生活も支える 石工の技術に注目を
八代市東陽町は、全国に名をはせた技術者集団「種山石工」の里として知られています。種山石工は、県内の通潤橋(山都町)や霊台橋(美里町)のほか、神田万世橋(東京)など卓越した技術で全国各地のめがね橋を手掛けました。
日本遺産のストーリーの下地となるのが、江戸時代前期、数㎞にわたって八代海沿岸に築かれた石積みの潮止め堤防です。石材の切り出しや積み上げといった基礎的な経験が、専門職である石工の増加につながり、大きなマンパワーを生み出しました。
現在の私たちの生活は、石工たちの過去の遺産によって成り立っているといっても過言ではありません。めがね橋を築いたことで近隣の集落同士の交流が生まれて人の往来が盛んになったり、堤防や樋門が築かれ干拓地ができたことで豊かな実りがもたらされたりしました。石工はまさに"縁の下の力持ち"なのです。
石工たちが築いた建造物の中でも、ダイナミックで人々の目に触れる機会が多いめがね橋が"花形"といえるでしょう。熊本県内に現存する約340基のめがね橋のうち、県内最多の46基が八代市にあり、いずれも江戸〜昭和初期に建造されたものです。中でも東陽町に21基と集中しています。めがね橋を訪れたら、ぜひアーチ部分に注目してみてください。石の加工や石積みなどすべて手作業のため、輪石(アーチ石)がいかに美しい半円を描いているか、輪石と輪石の間がいかに隙間なく密着しているかを見れば、めがね橋を築いた石工たちの技術力の高さが理解できます。
石の文化をより詳しく
東陽石匠館
「種山石工」の歴史や石工の匠の技な
どを紹介する施設。てこや滑車を用いて当時の石材運搬の工夫を体験できるコーナーや、アーチ橋の仕組みを学べる実物大のめがね橋模型、全国のめがね橋と世界のアーチ橋に関する展示などがあり、親子で楽しめます。
東陽石匠館
住所 | 八代市東陽町北98‐2 |
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TEL | 096-565-2700 |
営業時間 | 9時~16時30分(入館〜16時) |
休業日 | 月曜(祝日の場合は翌日) |
料金 | 大人310円、高校・大学生200円、小・中学生100円 |